世界経済にとって70年代はどういう時代だったのかから続きます。
世界経済を支配し動かしている人たちは、私なぞ足元にも及ばない経済分析力と政策立案力を持ち、国際機関や各国の政府・中央銀行を通じてそれを現実の政策としていくパワーも持っていると考えている。
(国際機関や各国の政府・中央銀行のスタッフは、ご託宣に寄りかかっているだけでたいした思考活動はしていないようだ。思考することは止められないが、分析や政策を主体的に出すことを止められていれば、思考することも止めてしまうだろう)
「成長の限界」論や「脱工業化社会」論が出てきたのも70年代であり、近代の象徴である工業を推進力とした経済発展が頭打ちになったという認識を70年代までに支配層が持ったことを窺い知ることができる。
だからこそ、70年代に、経済成長が行き詰まったことを先進国の多くの人が考えたのであって、けっしてその逆ではない。
このような認識が広まっていったのは、「ドル兌換停止」により戦後世界の基礎であった金ドル為替本位制が瓦解し、高インフレ率でありながら実質経済成長率がマイナスになるというスタグフレーションの現出を目の当たりにしたからであろう。
及ばないことだが、経済支配層が70年代に何を考えたかを推し測ってみたい。
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【世界経済のゆくえ】経済支配層は70年代に何を考えたのか 投稿者 あっしら 日時 2002 年 6 月 19 日
■ 金ドル為替本位制の崩壊
60年代後期から米国の貿易収支は赤字基調に転じ、「ベトナム戦争」の戦費増大により外国に流出するドルも増大した。
そして、フランスのドゴール政権は、保有外貨準備であるドルを金に兌換し続けた。
(戦後急速に外貨準備高を増やしたドイツも兌換を求め、68年には米国当局は、各国に兌換請求を控えるよう“強制”した)
兌換停止を行うことなく米国が金の流出を止めるためには国際収支を均衡させるしかないが、それは、米国市場に依存している世界経済全体に縮小均衡をもたらすものである。
この縮小均衡は、さらなる縮小均衡という循環につながっていく。
(米国が輸入を縮小することは、世界中の輸出を縮小させることになる。また、日本を含め外貨準備をそれなりの水準で保有している国は少なく、冷戦構造のなかで米国政府が支出するドルが発展途上国の輸入を支えていた)
変動相場制以外の選択肢としては、米国に限らず、戦前のある時期と同じようにどの国も金為替本位制を採るというものもある。
これが採用されていたら、米国から大量の金が日本や西ドイツに流出していたか、戦前のように平価切り下げ競争と輸入障壁が横行し、資本規制も厳しくなり、世界経済は混乱のなかで停滞を続けていたであろう。
(十中八九、後者であったはず。金為替本位制ではなく、固定相場制でも、似たような状況になり、変動相場制のような薄められた為替投機ではなく、集中的で激越な為替投機が行われただろう)
貿易収支は赤字であっても、米国の絶対的な経済力が揺らいでいるわけではないのだから、米国経済を基軸とした世界経済であることには変わりはない。
(ソ連・中国という共産主義国家の存在が、最強の軍事力を誇る“守護神”米国への求心力を維持したことも重要な要因である)
このような認識に基づき、先進諸国は変動相場制に移行していったと推測できる。
世界は、国際交易でも価値基準を失い、通貨間の相対評価で国際交易品の価格調整が行われる体制に変容した。
為替理論から言えば、米国ドルは、貿易赤字の増大によって円やマルクなど貿易黒字国の通貨との関係で相対的な評価を下げ、貿易赤字の解消に向かったはずである。
しかし、米国の貿易収支は、品目別輸入量規制(日本の場合、繊維・鉄鋼・家電・自動車・半導体)を広範囲に実行し、1ドル=80円まで下がっても、赤字を拡大する方向へと動いた。
(これは、工業製品の国際交易という側面に限れば、1ドルが80円の価値もない通貨だということである。米国民が日本製品を1ドル=125円で購入できるということは、手持ちドルを日本円に対して56%も有利に使うことができるということであり、日本国民は自分たちが生産したものを、ドル保有者に56%も安い価格で売っているということである。日本では“伝統”的に「円高嫌い」の人が多いようだが、「円高」は、日本人の労働が高く評価されるということであり、日本人が日本円を有利に使えるということである)
それでも米国が最大の経済力と最強の軍事力を維持し続けられたのは、国際商品のドル建てと最大の製品輸入国家という基礎の上で、“米国債務本位制”とも言えるいびつな体制が出来上がったからである。
(71年までは各国の中央銀行がドルを保有していることは論理的には金を保有していることであったものが、71年以降は、ドルを米国政府に貸し付け、その借用証書を保有するかたちに変わった。米国政府の借用証書が外貨準備になったのである。それによって、過剰なドルを米国政府が吸い上げ、米国の分不相応の財政支出と消費が実現されてきた。そして、そのような米国の財政支出と消費が、各国の輸出や国民経済を支えてきた)
世界中が借金それも自転車操業によって経済を運営する“大借金経済構造世界”が生まれたのである。
ある国家の“借用証書”が信用の基礎となり世界経済を支えるという前代未聞の構造である。
「米国経済社会の浪費が世界経済の信用の基礎」というまったくの“倒錯世界”が出来上がったのである。
米国政府の借用証書がFRBの直接引き受けによって積み上がっていれば、これまでのような世界経済を維持することはできなかったはずである。
米国に物やサービスを輸出したり、米国から利益や利息を得た経済主体が自国通貨に転換したドルを保有している中央銀行が、米国政府の借用証書を積み上げてきたからこそ信用が維持されてきたのである。
(FRBの直接引き受けは、米国のみならず国際商品の大インフレを引き起こし、ドルレートを大きく下落させ、“借用証書”の価値維持性も喪失させる)
※ 金為替本位制による国際金融資本の弱体化
戦前のある時期と同じように金為替本位制を採ることになっていたら、米国に拠点を移していた国際金融資本の力は大きく削がれていただろう。
それは、70年以降であれば、日本と西ドイツが「世界の工場」という地位を失う可能性は低く、ドル平価がずるずると切り下がっていった可能性が高いからである。
「1ドルは80円の価値もない通貨だということである。米国民が日本製品を1ドル=125円で購入できるということは、手持ちドルを日本円に対しては56%も有利に使うことができるということ」は、ドルを厖大に保有している国際金融資本についても同じように言える話である。
国際金融資本は、過大評価されているドルで、米国以外にある資産(株式・資源・不動産など)を“割安”で手に入れたのである。
金為替本位制であれば、米国政府は80年代前半のようなドル高政策や高金利政策も採れなかったし、85年の「プラザ合意」のレベルではない平価切り下げに追い込まれていたはずである。
(「プラザ合意」によるドルの対円レートでの40%にも及ぶ下落は、それまでの対外債務の切り捨て政策である。米国政府は、実質的には既にデフォルトを行っているのである)
金為替本位制が採られ、日本の金融資本が“理性的強欲者”によって経営されていれば、日本が金融大国になれる可能性もあっただろう。
(外国の銀行や証券会社が日本でそこそこ自由な営業ができるようになったのは80年代後半である)
米国当局が“強いドル”を志向しているのも、国際金融資本の意向を汲んだものである。
変動相場制であれば、保有通貨(ドル)を状況に応じて他の通貨に転換することで、実質価値の維持を図ることができる。
このような意味からも、“ニクソンショック”後に、世界が金為替本位制に移行することはなかったと言える。
7/8/25
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