バブル形成と「信用創造」:近代的預金と「信用創造」 4から続きます。
● 「信用創造」と財の価格の関係
財の理論的価格については、通貨量(発行量*回転数)の増加ペースと「労働価値」の上昇ペースの関数で決まると説明してきた。
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「労働価値」の倍数を前述の期間変動表に組み込むと、
通貨 貸出 卸売 消費者 労働価値 就業者
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60〜70年 4.5倍 4.8倍 1.1倍 1.7倍 5.1倍 1.1倍
80〜90年 2.1倍 3.2倍 0.9倍 1.2倍 1.6倍 1.1倍
となる。
通貨の回転数が同じだとすると、理論物価=通貨発行残高倍数/就業者倍数/労働価値倍数という算定式が成り立つ。
60年代の論理的な物価倍数は0.80で、80年代の論理的な物価倍数は1.19となる。
もう一つの見方は、通貨発行残高倍数に代えて貸出残高倍数を使うというものである。
理論物価=貸出残高倍数/就業者倍数/労働価値倍数で計算すると、
60年代の論理的な物価倍数は0.78で、80年代の論理的な物価倍数は1.82となる。
60年代の卸売物価変動並びに消費者物価変動と論理価格を較べると、論理価格であれば下落していなければならないのに、現実の価格は上昇している。
これは、輸出で得た利益を経済主体間(とりわけ中間財経済主体と最終財形材主体のあいだ)で再分配する手段として財の価格変動が使われてきたことを推測させる。
消費者物価との差がとりわけ大きく、家計実収入倍数が、通貨・貸出・労働価値のいずれの倍数とりわけ労働価値の倍数よりも小さいことから、勤労者の取り分を減らすことで、利益の調整が行われたことがわかる。
一方、80年代は、60年代とまったく逆の様相を見せいている。
80年代の卸売物価変動並びに消費者物価変動と論理価格を較べると、論理価格であれば1.82倍に上昇していなければならないのに、現実の価格はそれをずっと下回った上昇しかしていない。
通貨発行残高をベースにした80年代の論理的な物価倍数は1.19である。
こちらであれば、現実の物価変動とそれほど変わらない。
これは何を意味しているかというと、貸し出しが、労働成果財に使われずに、それ以外の金融資産に向けられたという現実である。
まさに需給理論である。論理的財価格に対する現実の財価格の下方乖離は、労働成果財に通貨が向けられる割合が減少したことの反映である。
経済主体が財に転化された「労働価値」以下の価格で、財を売ることは基本的にない。
このことから、貸出残高倍数ベースの論理的財価格に対する現実の財価格の下方乖離状況は、その国民経済のバブル度を示すものと言える。
80年代後半は、貸し出しで増加した通貨量が土地や株式といった金融資産に大量に振り向けられることで、物価の上昇が抑えられると同時にバブルが形成されていったたのである。
● 「バブル形成」を避ける方法
これまでの考察から、80年代の「バブル形成」を避けるためには、中央銀行が通貨発行量を抑制するというよりも、商業銀行が貸出残高増加を抑制しなければならなかったことがわかる。
そして、日本の統治構造実態に照らせば、究極的には、中央銀行と商業銀行の両方を管理していた当時の大蔵省がそのような政策を実施しなければならなかったということになる。
「バブル崩壊」の後遺症のなかで「デフレ不況」に苦しんでいる日本経済は、バブル崩壊の要因(金融資産の価格下落)を考えるのではなく、「バブル形成」がどのような経済論理を通じて行われたかを追求しなければならない。
その考察過程を通じてのみ、「デフレ不況」から脱却するための政策が生まれてくるのである。
経済論理的に言えば、日本経済は、80年代後半から「デフレ不況」だったのである。
この「デフレ不況」を覆い隠していたのが、「バブル形成」なのである。
なぜなら、理論物価=貸出残高倍数/就業者倍数/労働価値倍数で計算された、80年代の論理的な物価倍数は1.82でありながら、卸売物価の倍数は0.9倍で、消費者物価の倍数は1.2倍でしかない。
増加した貸し出し量が、労働成果財の生産活動や購入に回っていれば、現実の物価もそれに近いものになっていたはずである。
通貨(貸し出し)量の増加ペースが「労働価値」の上昇ペースを上回っているのならば、通貨(貸し出し)量の増加ペースと「労働価値」の増加ペースを基に算出される理論値まで物価を上昇させなければ、長期的には正常な経済活動を維持できないのである。
このような経済論理を認識をしないまま政府及び日銀がどんな知恵を絞ろうとも、そこから生まれた政策では、「デフレ不況」から脱却することはできない。
蛇足的になるが、80年代以降の高校及び大学(含む短大)のそれぞれの進学率は、
高校 大学
男性 女性
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58年 53.7 19.0 13.3
70年 82.1 25.0 23.5
80年 94.2 30.3 33.5
90年 95.1 23.8 37.3
00年 97.0 42.6 47.6
と推移した。
「バブル崩壊」と「デフレ不況」の別の側面での特徴は、大学進学率を大きく高めたことである。
80年から90年にかけて男性の大学進学率は下降したが、90年から上昇に転じ、「デフレ不況」が深刻化した98年からは37.2%、40.2%とさらに上昇した。
この数値は、教育熱の高まりという面もあるかも知れないが、高卒者の就職難という悲劇的状況がもたらしたモラトリアム層の増加が強く反映していると思われる。
入学してから学問に面白味を感じる人もいるだろうが、モラトリアムということで進学すれば、従来以上に大学の質が低下するだろう。
高齢化社会=年金問題であれこれ言われているが、若い人たちが働けない経済状況をつくり出しておきながら、そのしわ寄せを高齢者や就業者に持ち込むのは、統治者として失格である。
(いろいろなデータや算定式を使ってきたが、小数第一位でカットした倍数を使って雑ぱくなものにしたのは、GDP統計そのものが、金融収益や持ち家の借家みなしなどの要素が入っていて、述べてきたような目的の算定式にすっきり使えるものとは思っていないからである。それでも、それなりの意味と傾向を示していることは間違いない)

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