日本が公共事業国家になった事情:国民経済と財政 中から続きます
● 課税と経済論理
政府が行う課税については、労働成果財の資本活動や取引に関るものと、非労働成果財(金融商品及び土地)の取引や所有に関わるものとに大別することができる。
しかし、現在の税制を基準に、ある税がどちらに属するかを一律的に決めることはできない。
所得税の基準になっている所得も、活動力(労働力)を含む労働成果財の取引で生じたものと、貸し出し利息・金融取引収益・金融商品取引手数料・土地売却益など非労働成果財の取引で生じたものとがあり、個々の経済主体でさえ、その両方の取引を行って収入を得ている場合がある。
この意味では、法人税・消費税・印紙税についても、どういう経済活動から得た税であるかは、個々の実態を確認しない限り識別できない。
労働成果財の資本活動や取引に関る課税と割り切れるのは、輸入財に課せられる関税くらいである。
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非労働成果財の取引及び所有に関る課税のほうでも、不動産の所有に対して課税される固定資産税は土地と建物の両方が課税対象なので、「労働価値」がないものと「労働価値」が劣化するもの、すなわち、非労働成果財と労働成果財が混在している。
非労働成果財取引に関わる課税として明瞭なのは、有価証券取引税や利息及び株式売却益など金融利得に対するものである。
これまでも何度も説明してきたように、貸し出しや債券保有から生じる利息の源泉は、経済論理的には、労働成果財の“資本増殖活動”である。
(資本活動に依存していなければ、一時的には問題が生じないとしても、長期的には、不良債権化やハイパーインフレという歪んだ経済事象を生み出す)
株式売却益や土地売却益も、労働成果財の“資本増殖活動”とシンクロしたものでなければ、「バブルの形成と崩壊」という道をたどり、長期的には維持されないのである。
このような説明を再び書いたのは、統治者が税収を計ろうと考えるのなら、税率や控除をあれこれいじるのではなく、資本を増加させる経済政策や税制を考えなければならないことを明確にしたいからである。
資本の活動を停滞させたり低落させる経済政策や税制であれば、いくら増税策を構じても税の増収にはつながらないどころか、97年以降の税収推移を見てもわかるように減収につながる。
労働成果財の資本活動を活発化することで、所得税・消費税・法人税の増収が実現でき、金融取引に関わる税収も増やせるのである。
消費税3%&高額所得者減税が実施された89年と消費税5%が実施された98年に注目して、次の表を見て欲しい。
新規国債 歳出 税収 名目GDP 税収/GDP
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83年度 13.5 50.6 32.4 285.5 11.3
84年度 12.8 51.5 34.9 304.8 11.5
85年度 12.3 53.0 38.2 325.8 11.7
86年度 11.3 53.6 41.9 340.9 12.3
87年度 9.4 57.7 46.8 355.8 13.1
88年度 7.2 61.5 50.8 381.6 13.3
89年度 6.6 65.9 54.9 409.6 13.4 *
90年度 7.3 69.3 60.1 441.9 13.6
91年度 6.7 70.5 59.8 469.2 12.7
92年度 9.5 70.5 54.4 481.6 11.3
93年度 16.2 75.1 54.1 486.5 11.1
94年度 16.5 73.6 51.0 491.8 10.4
95年度 21.2 75.9 51.9 497.7 10.4
96年度 21.7 78.8 52.1 510.8 10.2
97年度 18.5 78.5 53.9 521.8 10.3
98年度 34.0 84.4 49.4 515.8 9.6 *
99年度 37.5 89.0 47.2 512.5 9.2
00年度 33.0 89.3 50.7 513.0 9.9
01年度 30.0 86.4 49.8 500.0 9.9
02年度 30.0 81.2 46.8 496.2 9.4
※ 02年度のGDPは政府見通し。01年度の税収は予算を下回っている。
89年の税制変更は税収面に貢献しているように見えるが、「バブル形成末期」であることから、不動産関連諸税や金融取引諸税の増収状況を勘案しなければならない。
と穏当に言いいたいところだが、「株式バブル崩壊」は、株価指数ベースでは89年11月末に始まり、日経平均ベースでは90年1月に始まったのだから、税制変更が経済主体の収益=余剰資金に与えた影響と「株式バブル崩壊」の関係をきちんと再検討しなければらない。
「デフレ不況」が色濃くなった98年に実施された税制変更は、増税が税増収につながるわけではないということを明確に示している。
(この年は、消費税以外にも社会保険料の引き上げや医療費自己負担率引き上げがあり、それらを少し打ち消すための“特別減税”が実施された)
消費税率を引き上げたにも関わらず、税収の絶対額と税収のGDP比がともに下がっているのである。 GDPも、実質でマイナス1.1%、名目でマイナス1.2%を記録している。
そして、98年以降、本格的な「デフレ不況」が続いている。
98年の日本経済は、94年以降とほぼ変わらない条件にあったと考えていいだろう。
97年夏から起きた「アジア通貨危機」で、98年は「アジア不況」であったが、98年以降もずっと税収が対GDPで10%を下回っているから、税制変更が影響したと判断することができる。
89年の消費税導入で「バブル崩壊」を引き起こし、98年の消費税引き上げで「デフレスパイラル」に引き込んだとも言えるのである。
(「バブル崩壊」は遠からず起きるものではあったが...)
現在、不動産や株式の購入を促進するために贈与税や相続税の減税が志向されているが、それによって不動産や株式に向かう通貨が“タンス預金”から出てくるのであれば問題ないが、預貯金の取り崩しや不動産や株式の売却によって賄われるのなら、意図した効果は発揮されず、預貯金が減少することで、資本化される通貨の減少や「国債サイクル」の不安定化をもたらすことになる。結果は、経済状況のより悪化と税の減収だけである。
(子供や孫に無税で資産が移転できることで、後から別の株式や土地の購入に向かうとしても、その前に保有する株式や土地を売却するという想定はそう違和感があるものではないだろう)
所得が個人や個別経済主体のものであることから、現在のような所得と経費を基準に所得税や法人税がかけられているのは、国家理念や国民の価値観に照らして妥当だとしても、経済論理的には、労働成果財の生産(輸入)と販売を通じて資本を増加させている経済主体が、国家の財政を支えていることを見失ってはならない。
奇妙だがいちばんわかりやすい例は、政治家や公務員が支払う所得税である。彼らに支払われる歳費や俸給は、徴税もしくは借り入れ(後からの徴税)で得た通貨である。
と言うことは、制度に対する善し悪しの判断は別として、彼らがそこから支払う所得税は、民間納税者が既に支払っているものであり、税収に加算されるわけではない。
政治家や公務員が支払う所得税や消費税は、いったん税金から引き上げた通貨を再び税金に戻しているのと同じである。
しかし、経済論理的にそうだからと言って、政治家や公務員は所得税や消費税などの税を支払わなくともいいと言うことになれば、政治的大混乱や大暴動が起きる可能性もあるだろう。
突き詰めていけば、個人的損得が経済活動の動機である。
公務員が得をして、民間人が損をするというような税制は認められない。
同じことであっても、このような迂回的な現実のようなシステムにしなければならないのは、個人主義や法的平等といった近代国家の価値観的政治的基盤に抵触するからである。
現実の手法ではなく経済論理的に照らせば、経済主体が国家に必要な税金を納めているのであり、納めざるを得ないのである。
逆に言えば、経済主体が必要な税金を納められなくなったら、国家財政はおかしな方向に転落せざるを得ないのである。
経済主体が財政を支えきれなくなったら、どんな徴税手法を駆使しても、財政を支えることはできない。
現実の税制は別として、この経済論理を認識しないまま財政問題を語っても意味がないのである。
また、経済論理的には経済主体が負担している税金であっても、現実にどういう手法で徴税するかによって、税が国民経済に与える影響は異なってくる。
それを端的に示したのが、消費税の導入による「バブル崩壊」と消費税率アップによる「デフレ不況」の本格化である。
根源的に経済主体が負担するしかない税金を、一般国民など統治者が錯誤で違うと思っている擬制経済主体に負担させようとすることで、国民経済全体がおかしくなるのである。
勤労者の所得は経済主体が支払ったものである。消費税などその所得から後で支払う税金を考慮すると総納税額が増えるということは、経済主体が支払う給与が減少したことと同じである。
消費性向が高い層の給与を減らし消費性向が低い層の給与を増やす政策を、個別経済主体ではなく国家が行えば、国民経済の総需要がどうなるかくらい経済学的知識がなくてもわかることである。
これに対しては、高額所得者や法人に対する減税で起業や新規事業が行われ雇用も増えるという反論もあろうが、現状は、潜在失業率が10%と言われるほど、資本過剰=供給力過剰なのである。
既存の資本過剰を優先的に解消しないまま、供給力増加をはかる政策をとろうと言うのは愚かである。
せめて、IT関連企業や新規参入航空会社の経営状況をきちんと検証して語らなければならない。
今心配すべきは、これまでの成長産業であった携帯電話事業が成熟化したことで起きると予測できる携帯電話事業の供給力過剰問題である。
財政的に総需要の補填ができない現状を考えれば、不足している総需要を補填する手法は、税制による所得再分配しかないのである。
それを契機に資本の増加をはかりつつ、緩やかな金利上昇政策でデフレをインフレに転化することが、今必要な経済金融政策である。
7/3/5

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