● 金融家の登場
現在の経済社会=末期資本制経済システムで主要なプレイヤーを担っている経済主体のなかで、これまでほとんど触れてこなかったのは金融家=銀行である。
(もちろん、現代において最大の数と最小の力を“誇る”雇われ人=勤労者も登場していない)
現在の世界が「金融資本主義」とも言われるように、金融業全盛の時代であるが、金融家が経済社会に登場してくるのはそれほど遠い昔ではなかったと考えている。
「お金で直接お金を稼ごうとする人」が金融家である。
この手法は、お金儲けのやり方として、農業や工業そして商業に較べて、ある条件さえ維持されていれば、ずっと楽で効率のいいものである。
金融家は、その経済目的を実現するために、お金を貸し付け、利子を加えて貸し付け金を返済してもらう。
このような商売が成立したのは、商人が蓄積通貨を増大させ商品を仕入れそれを販売するという通常の商売だけでは思うようにお金が稼ぐことができなくなったことと、支配者が戦争などでお金が必要なのだがそれに見合うお金を保有していないという状況がマッチングしたことが発端ではないかと推測する。
人気blogランキング <-- クリックしていただくと、より多くの方に読んでいただけます。ご協力お願いします。
【経済学者のトンデモ理論】
デフレーション・インフレーションそして通貨 《その2》 投稿者 あっしら 日時 2002 年 2 月 21 日
近代のような大規模工場制で商品が生産されていない社会では、工業生産者が多額のお金を必要とすることもない。昔の工業は、小規模な生業としてか、裕福者が奴隷を使った事業であり、お金を借りてまで事業を拡張するという性格のものではなかった。
それは、多くの国家=共同体が農業を経済基盤としており、国家=共同体にとって、工業や商業は、武器生産などある種重要な役割を担うものであったとしても、全体から見れば副次的な役割を担うものでしかなかったからである。
ローマ帝国を顧みてもわかるように、多数の自営農民の存在が最大の安定要素と考えられ、それを維持するために領土拡張を図ったようなものである。
(もちろん、奴隷や富の収奪という目的もあった)
ローマ帝国は、勘違いしている歴史学者もいるようだが、資本制経済の萌芽的経済システムを基盤とした国家ではなく、壮大な“自営農民国家”だったのである。
(没落の原因をきちんと考えることなく、没落して小作農や奴隷になる市民のために戦争を継続するという統治者の奇妙な二律背反である。自分たちの欲(貴族階級は大土地所有を追求した)は満たしたいが、帝国の基盤である自営農民も維持しなければならない、それならば“自営農民を主体とした軍隊”で戦争を仕掛け新しい土地を確保しようという論理である。貴族階級は、新しく獲得した領域でも、奴隷ともども良質な土地を大規模に所有した。しかし、欲深い貴族階級も、工業や商業を軽蔑し、それで欲を満たそうとはしなかった。ローマ帝国で商人が公務員や高級官僚に就けなかった時代は長いのである)
金融家にしてみても、そのような相手に大事なお金を貸し付けても、ちゃんと利子を付けて返済してくれるか不安になる。
武器など国家にとって重要な商品を製造しているところなら、工場と奴隷を担保にしてもらって、その範囲の額で貸し付けしてもいいとは考えるだろう。
農業生産者も工業生産者と同じようなもので、金融家にしてみれば、年に一回ほどの収穫しかできず自然災害にも見舞われる可能性がある農業に貸し付けを行うのは、工業生産者向けよりも危険なことだと考える。
農地を担保にしてくれるのなら、その価値範囲で貸し付けをしてもいいと考えるだろう。
金融家は、統治者なら、戦争に備えていつも巨額の資金を必要としているし、金貨を発行しているくらいだから、回収不能(不良債権)になる恐れも少ないのではないかと考える。
しかし、一方では、強力な武装勢力を抱えている統治者が、居直って返済しない可能性もあるのではと不安を感じる。また、貸し付けた統治者が、他の国家と戦争して負けて、殺されたり、支払い不能になることもある。
黎明期の金融家もどきの商人は、このようなことから、貸し付けに関してはひどく慎重になったはずだ。
ある人は、自分のお金を貸し付けに使うのではなく、お金の取り扱いに慣れているという特技を活かして、統治者の金庫を預かることから出発したかもしれない。
(これは、中世から近代にかけてヨーロッパの諸王室に金融家が財政責任者や徴税責任者として入り込んだことをイメージしていただければいいだろう)
金融家が有望な商売相手である統治者に貸し付けを行うかどうかの判断基準は、返済をきちんと行う誠実性と戦争に勝利する能力が中心となっただろう。
武装力を持つ統治者にきちんと返済させることはそれほど難しくはない。
商人が、統治者から“略奪”されないように、危険な統治者の領土から離れて、誠実な統治者の領土に向かうのと同じ方法である。
最初は少々の損を覚悟しながら少額の貸し付けを行う。もしも、それを返済しなければ、二度と貸し付けをしないどころか、その統治者に対抗する別の統治者に貸し付けを行う。
この結果、“不誠実な”統治者が戦争に負けるという現実が何度か続けば、多くの統治者が、借りた金をきちんと返済するほうが得策だと考えるようになる。
このような現実はまた、統治者に、金融家から金を借りてでも軍備を強化したほうが国力が増大するという考えをもたらす。
金融家から見放された統治者は、よほどのこと(潤沢に金がある・大帝国で敵がほぼいないなど)がない限り、没落していく運命に立たされることになる。
そして、この論理は、現代なお引き継がれている「戦争の論理」でもある。
金融家は、少々の焦げ付きは発生するとしても、金融業が実に儲かる商売だとわかると、貸し付けの原資であるお金を新たに入手する方法を考えるようになる。
その一つが、商人など余裕資金を持っている人たちのお金を預かることである。
今の日本は低金利だとはいえ、銀行に預けると利子をもらうことができる。
しかし、預金という言葉に現れているように、元々は銀行=金融家が預かってあげるという性格のものなのである。
厖大なお金を持つ金融家は、私兵を雇うなど資産を保護する術を構じているし、統治者とも濃密な関係にあり保護も受けている。
商人や統治者階級は、自分自身で盗人などからお金を守るよりも、金融家に預けるほうが安全だと考え、無利子なら大喜び、少々の手数料を払っても、金融家に余裕資金を預けたのである。
(お金が不足しているのに、融資を求める優良顧客=強力な統治者がいる場合は、預金にわずかばかりの利子を付けたかもしれない)
統治者階級のお金まで預かるようになれば、より安全が高まるのは言うまでもないだろう。
金融家は、預かったお金がそのままじっと保管されたままであることを見て、全部でなければこれを貸し付けに使っても問題がないことに気づく。
預けた金を取りに来る客はまれで、たいていは追加のお金を預けにくるくらいだからである。
美術品などと違ってお金に区別はないのだから、受け取るに来たときに渡せるお金だけ残して、あとはまるで自分のお金のように貸し付けに使った。
(このようなことをして失敗した金融家は、自分のお金を何とか確保しつつ夜逃げ同然でどっかに行こうとしただろう。運が悪ければ、身ぐるみ剥がされて処刑されたかもしれない)
さらに、別の金融家で融資先がなく資金を遊ばせている者がいたら、融資先を紹介したり、そのお金を自分に融通してもらえないかと打診したりしただろう。
この場合は、紹介料や融通手数料を支払っただろう。
このようなことをしていたら、融資先が遠くにある場合、お金を運んでいくよりも、その近くにある金融家にお金を融通してもらうほうが便利なことがわかった。
遠くまでお金を運ぶのは、強力な盗賊に遭遇したりして実に危険である。
(金融家は、没落していく金融家が出てくれば、チャンスとばかりに有望な地に出先をつくる。身内で融通し合ったり為替業務を行うほうがより安全だからである)
これが、今なお続いている為替の始まりである。
金融家だけではなく、商人や統治者などが遠くにお金を運ばなければならないときも、金融家に頼めば、安全でローコストにそれを実現できるメリットは大きい。
金融家同士は、1年に数回、貸し借りの決済を行って帳尻を合わせる。
これは、まさに「金融家=銀行ネットワーク」の形成である。
金融家は、お互い競争しつつも、ある一線からは協力して共通利益を守るほうが有利であることを悟る。
商人もそうだが、金融家は、事業に失敗しないためにも、事業を拡大させるためにも、情報の収集とネットワークが重要である。
どこに安い物があるのか、どこに買い手(融資先)がいるのか、どことどこが険悪な関係にあるのか、どこがこれから強くなりそうなのか、天候の先行きはどうなのかなどをしっかり把握しなければ、ドツボにはまってしまう。
そして、世界各地の有望な地(経済活動が活発で資金需要が大きい都市)にどれだけネットワークを持っているかが競争を制する。
金融業界は、古代から「情報化」と「ネットワーク化」にいそしんできたのである。
前へ 次へ

1