「金融家の登場 その2:デフレーション・インフレーションそして通貨 4」
経済学者のトンデモ理論
遊牧の民から遊牧兼商業の民へさらに専業商人へと変化し、成功を収めた商人が金融家になっていったと考えている。
専業商人のある部分が都市に定住するようになり、それが金融家になっていったのだろう。
(イスラムを興したムハンマドは、遊牧民の共同体価値観を残した商人だったのではないかと考えている。メッカに定住し商人として成功した人々の生活態度や価値観をそばで眺めているなかで、“神の啓示”を受けたのではないだろうか。メッカにもユダヤ教徒はいたし、第二の聖地と言われるメディナには有力なユダヤ教徒の一族もいた。イスラムが色濃くユダヤ教の影響を受けているのは間違いなく、ムハンマドは、ユダヤ教の教えを学びつつ現実に適応する宗教としてイスラムを興したと考えている)
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ユダヤ教徒が金融業に強いのは、古代より金融業を営んできたことで厖大なノウハウを蓄積しているからである。
ノウハウには、目に見えない伝承の智恵もあれば、書かれた文書もあれば、歴史のなかで築いてきた金融・情報ネットワークもある。
(だからこそ、たかだか100年ほどしか金融業を営んできていない日本の金融家が、グルーバリズムのなかで勝ち抜くことは難しいのである。智恵は可能だとしても、物理的な「金融・情報ネットワーク」には対抗することができない。日本の江戸期は、検校などに特別に利子取得が許されていただけで、商人は基本的に無利子で融通していた)
しかし、面白いことに、商人や金融家を数多く生み出したユダヤ教・キリスト教・イスラムのすべてが、“利子の取得”を何らかのかたちで禁止している。
ユダヤ教は、ユダヤ教徒から利子を取ることを禁止している。
ローマカソリックとイスラムは、利子の取得を全面的に禁止している。
ローマカソリックは、信者に対しては利子の取得を禁じていながら、聖堂騎士団などの利子取得を黙認するダブルスタンダートである。
現在のバチカンは、利子を得ている。
大金持ちのムスリムはいかにして利子と指弾されないでお金を増やすかに呻吟し、イスラム学者は、「金融資本主義」のなかでイスラム法に抵触しない金融業のあり方を模索している。
(『イスラム銀行論』という書籍は難渋だけどなかなか面白いですよ)
3つの宗教のなかで最も興味深いのはユダヤ教である。
ユダヤ教徒は、キリスト教徒やムスリムそして仏教徒や無神論者から利子を得てもいいのに、同じユダヤ教徒から利子を得ることを禁止している。
(金融家が銀行という法人を所有することで、間接的ながら、ユダヤ教徒がユダヤ教徒から利子を得るという実態が許容されているのではないだろうか。ユダヤ教の律法はまったくわからないので、このような取引をどう律しているかわからないが)
これは、お金を貸して利子を取ることが相手をどれだけ疲弊させるかを知っているからである。
金貸しは、失敗しなければもっとも効率のいい商売である。ということは、逆に、金を借りる人にとっては、非効率であり苛酷なものであると言うことである。
これは、同じ業種の無借金経営の会社と借金漬けの経営の会社を比較すればすぐにわかることである。
同じ経営能力で同じ1億円の資本金で事業を始め、対資本最終利益率が8%とする。
事業を拡大するために1億円を増資で得た会社は、マイクロソフトのように、利益の1,600万円を配当として流出させることなく、次の事業拡大のために使うこともできる。
事業を拡大するために1億円を借金で集めた会社は、利子が5%とすれば、1,600万円の内500万円を利子として支払うだけではなく、契約内容に基づきある金額の元本部分も返済しなければならない。
これが数年も続けば、その差はとてつもなく大きくなるだろう。
いやそうは言っても、事業拡大のチャンスがあれば、融資を受けてでも事業につぎ込んだ方がいいじゃないかと思われるかもしれない。
それは、戦後復興から高度成長期の日本のように、資金不足(国際取引で通用するハードカレンシー=ドルが)で、どこもが融資を受けなければ事業を拡大できない状況に置かれ、しかも、市場が閉鎖的に守られているとともに為替レートが有利な条件で輸出ができるときだけの話である。
このようなときは、借金して事業を拡大しても、利子の負担を超えて会社を大きくしていくことができる。なかには無能な経営で破綻した上場企業もあったが、それは今とは違って極めてまれな出来事だったのである。
高度成長期までの日本企業は、どれだけ借金することができるかが“経営能力”だとも言えたのである。
戦後の日本は対外債務を抱えた状況が長く続き、その壁にぶち当たるたびに景気を減速しなければならなかった。
そのような時期でも、次に備えて借金できるかどうかが、飛躍の鍵を握っていたのである。
(輸出を中心に経済を拡大できる余地はあるのに対外債務を返済しなければならないという状況にあった戦後の日本は、ある時期まで、景気変動を国際収支に規定されていたのである)
このような理解をしないまま“株式&土地のバブル”に突入した日本の経営者は、借金してでも株式や土地を買ったほうが有利だと考えて行動した。
そして、経済学者や経済評論家そして主要メディアも、財テクに励まない企業や個人はまるでバカであるかのような論調を繰り返し煽ったのである。
有能な経営者であれば借金の非効率性に気づき、増資や転換社債など元本や利子を支払わなくてもいい資金調達に動いたはずだ。
それが大きくなった動きが、「間接金融から直接金融へ」の流れである。
しかし、そこまで学んだのに、“バブル崩壊”の後遺症から抜け出す術はまともに提起できていないように思われる。
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