● 第二次世界大戦後の世界
ようやく現代と同じ通貨制度を基盤にした経済システムを説明する段階に達した。
第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期(正しくは休戦期間で第一次世界大戦から第二次世界大戦はつながった戦争)に国内通貨は「紙切れ通貨」に変わったが、あくまでの過渡的な混乱期であり、定着した戦後世界を対象にする。
[戦後世界の前提的説明]
★ 異質な2つの管理通貨制度
これまでも説明してきたように、近代世界の覇権を引き継いできた英国と米国は、中央銀行機能が民間銀行によって担われている。その他の国々は、戦後国有化したフランスも含め、基本的に国有の中央銀行である。
この中央銀行の性格の違いは、当然のように、金融政策の違いとなって現れる。
中央銀行が民間銀行、しかもこれまで説明してきた「ネットワーク金融家」銀行であれば、これまで説明してきた論理(拝金的価値観)で金融政策を追求する。
中央銀行が国有銀行であれば、国際経済関係を別にすれば、自国の経済発展を重視した金融政策を決定しやすい。
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【経済学者のトンデモ理論】 デフレーション・インフレーションそして通貨 《その4》 投稿者 あっしら 日時 2002 年 2 月 23 日
★ 戦後国際経済システム
「ブレトンウッズ体制」と呼ばれる戦後国際通貨システムは、1971年の“ニクソンショック”=ドル兌換停止と「変動相場制」への移行という重大な制度変更はあったが、米ドルが基軸通貨であり続けていることから、現在なおそれへの“信仰”に支えられた国際通貨システムが続いていると言えるだろう。
[戦後世界の出発点]
戦後世界は、第二次世界大戦の連合国勝利にソ連と並んで貢献したアメリカ合衆国が、“公的保有”金の過半量を保有し、GDPベースでも50%を超えるという状況を出発点とした。
米国は、広島・長崎の市民を標的として原爆を投下し、軍事的にも他を圧倒する力を誇示した。
戦後世界の国際経済政策は、民間銀行が中央銀行を所有している米国と英国が主導権を握って決定された。
これは、すなわち、国際金融家が、このような現実を前提として、お金を稼ぐ方策を検討した結果が国際経済政策になるということである。
戦後世界の出発点にいる国際金融家になったつもりで、自分ならどうするか考えてみて欲しい。
ドイツに対しては、「ドイツは危険だから産業を破壊し農業国家にする」というモーゲンソーのプランもあった。
(ドイツの東西分割はこの意図の一つの実現方法)
原爆を保有しているのだから、ドイツ人や日本人は皆殺しにしてしまえと“冗談”を言った人もいたかもしれない。
「ドイツや日本の植民地化」というアイデアも出されたかも知れない。
両国とも近代的な意味での資源大国ではなく近代産業国家である。
(だからこそ、ドイツや日本は戦争を仕掛けたとも言える)
戦争総動員体制や空爆で産業基盤が破壊され、経済総体が疲弊している日本やドイツを植民地化するという政策は、コストがかかるだけであり、抵抗運動を抑え込むのも並大抵ではなく割が合わない。
(これが、国際金融家と大土地所有者と自営農民のために領域拡大にいそしんだローマ帝国の違いである)
国際金融家は、日本やドイツに対しては、徹底的な「思想改造」を加えることで危険性の芽を摘むとともに、万が一に備えて独立後も軍隊駐留を継続するという政治的政策を決定した。
それと同時に、日本やドイツを「世界の工場」として繁栄させる決定を行った。もちろん、繁栄させる目的は、国際金融家がより多くの利益を上げるためである。
国際金融家は、戦後日本もお世話になったように、米国民の税金を使って戦争で疲弊した諸国民に対する無償の経済的援助も行った。
それと同時に、産業復興がスムーズに進むための条件として“農地解放”やシャウプ勧告に代表されるような社会主義的統治の枠組みをつくり、産業復興のための貸し付けも厖大に行った。
(ちなみにIMFも世界銀行もBISも国際金融家のものである)
第一次世界大戦の“休戦条約”でドイツに過大な賠償金を負担させて第二次世界大戦を誘発するという政策とは違って、賠償金も穏和的なものにした。
日本人もドイツ人も、米国の暖かい施策を大歓迎した。
(マッチポンプのきらいは強いが、戦争を仕掛けたのはどう言っても日本だし、あの状況ではありがたかったことは確かである)
ソ連圏は、国際金融家の意志がスターリン政権には働かなかったのか、そこまで面倒を見る余裕がなかったのか、それとも、なんらかの合意があったのかはわからないが、軍事的な押さえ込みは行ったが経済的繁栄の対象とはならなかった。
中国は、蒋介石政権をあきらめ共産党政権に大陸支配を認め、その代わりに蒋介石グループを旧日本領の台湾に移動させた。
旧日本領の朝鮮半島も、南北分断を計って「朝鮮内戦」を誘発し、南北分断を固定化した。
米ソ冷戦・中台問題・朝鮮半島問題・北方領土問題などは、経済的発展を遂げさせることにした日本やドイツが、それらの国々に目を向け、経済関係を強化してしまうことで“自立する”のを防止するためである。
国際金融家にとっては、政治体制が独裁であるか民主であるかは敵味方の識別に関係なく、自分たちの経済的利益がきちんと追求できるかどうかだけが問題である。
それは、米国が、アジア(韓国やフィリピン)や中南米で独裁政権を支持してきたのみならず、チリのように民主政権を倒してまで独裁政権を樹立させたことでわかるはずだ。
[戦後の英国]
大英帝国として近代世界を動かしてきた英国は、戦争で疲弊し、植民地の独立運動も起こるなかで、主要産業を“国有化”する政策まで採った。
国有化は有償で行われたものであり、収益力が劣化していく英国産業資本を抱えている国際金融家を国家が税金で救済したものである。
国際金融家の活動拠点はロンドンからニューヨークに移り、英国は、そこそこの産業と資産家の資産をベースに英国民自身で維持されることになった。
この結果引き起こされた経済的沈滞がいわゆる“英国病”だが、食糧自給率100%を目指す農業政策や北海油田の開発が英国経済の基礎を支えた。
ビートルズに代表される音楽文化を世界に輸出することでも外貨を稼いだ。
戦後の英国は、国際金融家に負担を強いることなく、英国民がそこそこ生活できる経済構造へと再構築されたのである。
“陽が沈まぬ大英帝国”と言われた英国も、1960年頃にはほとんどの植民地を手放すことになった。もちろん、国際金融家は、政治的にも経済的にも支配が継続できる手だてを構じた、かたちだけの権力移譲を行った。
フランスがベトナム(インドシナ)やアルジェリアの独立に軍事力で対抗したのとは好対照である。(エジプトのスエズ運河国有化宣言問題では、英国もフランスと共同軍事作戦を行った)
英国民は、あれだけの広さを誇った植民地から得られる利益が失われてしまうことを納得する一方で、国際金融家が継続的な経済支配を実現するためのコストは旧宗主国としてやむを得ないものだと考え負担している。
フランスは、恥知らずの愚挙だとはいえ、植民地に移住した自国民のために軍事力で対抗した。
繁栄の象徴であった英国ポンドも、相対的な経済的停滞のなかで、通貨危機に何度も見舞われ、数度の切り下げを行った。
(日本円との関係で言えば、1ポンド=1,300円から1ポンド=130円までと10分の1まで価値を下げた。現在は180円程度)
この通貨価値の下落は、英国民にとっては苦境の要因ではあったが、北海油田の存在が苦境を和らげた。
国際金融家は、ポンドがそうなることは織り込み済みだし、資産をそうなるポンドには依拠していないので痛くも痒くもない。
それどころか、通貨危機のなかで為替取引を大々的に展開してボロ儲けした。
英国は、80年代に、いわゆる“サッチャリズム”による「改革」を行い、それほど豊ではない多くの英国民に負担を強いる国家に変わっていった。
サッチャー首相の改革で救済されたのは、ロンドンを拠点した国際金融活動家とそのおこぼれに預かれるサービス業くらいである。
(英国のある人たちがフーリガンになる素地は、戦後のこのような変化にあるとも言える)
[戦後の米国]
戦後世界は、まさに米国の世界であったし、今なお米国の世界である。
ソ連を含む連合国への武器供給国であると同時に、自国も強力で巨大な軍事機構を構築しながら戦った米国は、社会主義的な統制経済を採っていたとはいえ、本土が攻撃の危機にさらされることもなかったので軍需以外の産業も発展を遂げていた。
戦争が終結した米国は、産業も農業も一気に過剰生産状態に陥った。
戦争参加諸国は、軍備拡張にいつまでもいそしむわけにはいかないし、疲弊した農業を立ち直らせ、民需向けの産業を復興させる政策を採らざるを得ないからである。
米国内でも、資産家や高額所得者にもある程度負担を強いる財政政策を採ってきたが、生産活動を維持するためという名目で、そのような政策を戦後もずっと続けるわけにはいかない。
(もちろん、続けられるのだが、そのような政策は、国際金融家など実質的に政権を支える人たちの意に背くものである。ある程度の負担をした資産家や高額所得者は、産業が活況を呈した戦争期も負担以上の利益をちゃんと得てきたのだが)
米国政権は、余剰農産物や加工食品を日本など戦争で疲弊し食糧事情が悪化している国への援助として活用し、民需品生産者は平和の配当に期待し、原材料や機械装置など中間財を生産する者たちは戦後復興をめざす諸外国に目を向けた。
このような世界状況で接着剤の役割を果たしたのが国際金融家である。
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