チョムスキー教授のインタビュー記事からのエントリーです。
「グローバル化」は、中立的な意味においては、単に「国際的統合」を意味するだけです。
しかし、最近の「グローバル化」という言葉は上記のような国際化・世界化を指すのではなく、ある種の専門的な言葉として近年使われるようになってきています。すなわち国際的な経済統合という特定の国際化を指しているのです。
つまり、民衆の権利ではなく投資家の権利に優先権を与えるものです。ですから、投資家、金貸し、企業、銀行、財政機構などの権利なのです。それは一般的な新自由主義の枠組み、おおざっぱに言えば、いわゆるワシントン合意の範囲内での国際化・世界化なのです。それは特定教義上の見解であり、その見解を持つ人が集中した富と権力を持っているが故に、彼らはその用語を多くの談話に押しつけることができ、その結果、それが「グローバリゼイション」と呼ばれるようになったのです。
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以下 引用
グローバル化、イラク、中東の研究について
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ダニーロ・マンディックによるチョムスキーへのインタビュー、2005年3月11日
Princeton Progressive Review and Dollars & Sins, March 11, 2005
翻訳:寺島隆吉+山田昇司+山本早苗、公開2005年11月2日
チョムスキーはこのインタビューで「反グローバリゼーション」という概念がいかに誤っているか、イラクの選挙が米国による民主化の勝利ではなく実は敗北の結果であったこと、ま大学の中東研究がいかに体制内化しているか、などについて語っています。特に面白いのはプリンストン大学でチョムスキーの著作が全く学生に紹介されていないこと、またMITでチョムスキーがおこなっていた夜間の自主ゼミが、現在のインターネットマガジンZNetや出版社SouthEndPressをつくりあげる学生を生み出すエネルギー源になっていた、というエピソードです。(寺島隆吉)
1 グローバリゼーションをどう見るか
ダニーロ・マンディック(以下、DM):
ブラジルのポート・アレグレで数ヶ月前に開催された、最近の世界社会フォーラム(WSF)について御意見をお聞かせ下さい。135カ国から、10万5千人を超える人々が参加しました。空前の人数です。彼らは経済の平等、労働者の権利、戦争、そして世界的多国籍企業の支配力など広範囲に渡る問題を扱いました。5年前に開かれた最初のWSフォーラム以来、社会正義を求める運動はどんな成果をもたらしたのでしょうか。
ノーム・チョムスキー(以下、NC):
世界社会フォーラムそれ自体は、世界中から人々が集まって議論し、多くの活動を計画する場所です。例えば、もし第一回の社会フォーラム(2000年)を例に取るなら、そのフォーラムは、その後ずっと広範に広がった他のフォーラムよりも西半球に偏ったものでしたが、その第1回フォーラムから生まれた成果のひとつは、いわゆるアメリカの自由貿易協定を阻止あるいは変更しようとする大規模な民衆運動でした。少なくとも民衆に価値を置く限り、その協定は自由なものではなく貿易に関するものでもなく、そして協定でも全くありませんでした。そして、それは多くの国における地域的な活動に、そして2001年4月のカナダのケベックでの北半球サミットにおいて、とても大規模なデモに発展しました。それは北半球においてNAFTA(北米自由貿易協定)流の計画をゴリ押しする勢力を阻止するには十分なものでした。2001年4月以後、それは現在にまで続いています。
今では世界中に地域的な社会フォーラムが存在しています。例えばボストン社会フォーラムがあります。それはまさにこのボストン地域にあるのですが、世界の中心的なフォーラムから生まれてきた沢山の地域フォーラム(どのくらいの数かは分かりませんが)の一つです。今それらのフォーラムは、アメリカ国内の関心事に取り組んでいます。アメリカが強大であるために、それはいつも地球的な関心事ともなるのですが、それと同時に単純明快なこと、すなわち地域における社会的不正を糺すための重大な仕事、地域の企業の不正を糺す計画のための仕事などに取り組んでいるのです。今そのような運動は、人々を巻き込んで、色々な地域で起こっています。
その地域にいる人々の関心は、国際間や地域の(より広い地域の)の会議、すなわち国際的な会議に統合され、そしてあなたも仰っているような、世界社会フォーラムそれ自体で討論されるのです。とても広い範囲の議論があります。その議論は最終のものである必要はなく、もっと初歩的なものであっても良いのです。普通は、一般的な関心事について、この問題に関わっている世界各地からの多くの異なる職業や活動家たちによって非常に真面目な議論がなされています。そういった議論の中から、いくつかの一般的な計画や行動についてのいくつかのアイデアが出てきます。そのアイデアはそれから民衆によってそれぞれ独自のやり方で実行に移されるのです。地域的に合うように調整しなければ地球的な事業にすることは出来ません。
DM:
たくさんの著名な学者が、「反グローバル化運動」というフレーズを用いるきらいがあります。あなたは、そのレッテルについてどう思いますか。
NC:
世界社会フォーラムやその他の場で私がこれまで繰り返し言ってきたように、それは全くのプロパガンダです。「グローバル化」は、中立的な意味においては、単に「国際的統合」を意味するだけなのです。世界社会フォーラムは事実上、民衆のレベルにおけるグローバル化の模範例です。この会議では、何かしらの共通の関心事や利害関係を持っているあらゆる職業の人々が、インド、アフリカ、ブラジル、ラテンアメリカ、北アメリカ、ヨーロッパなど、ほぼ全ての国から参加しているからです。それがグローバル化です。
事実、グローバル化自体は、19世紀初頭以来、左翼労働者運動にとって導きとなる展望だったのです。それゆえ、全ての労働組合が国際的なものでなくても国際的組織と言われるのです。それが労働組合の切なる願いだったのです。そしてそのようにしていくつかの「インターナショナル」が作られ、それは本当に国際的なものでした。それ以来の草の根運動の発展の中で、事実、世界社会フォーラムはおそらく「インターナショナル」という言葉に値する初めての組織でしょう。したがって、これらの運動が反グローバルなどというのは全くナンセンスです。それどころか、それらは完全なグローバル化の例です。
最近の「グローバル化」という言葉は上記のような国際化・世界化を指すのではなく、ある種の専門的な言葉として近年使われるようになってきています。すなわち国際的な経済統合という特定の国際化を指しているのです。
DM:
おっしゃるとおりです。
NC:
つまり、民衆の権利ではなく投資家の権利に優先権を与えるものです。ですから、投資家、金貸し、企業、銀行、財政機構などの権利なのです。それは一般的な新自由主義の枠組み、おおざっぱに言えば、いわゆるワシントン合意の範囲内での国際化・世界化なのです。それは特定教義上の見解であり、その見解を持つ人が集中した富と権力を持っているが故に、彼らはその用語を多くの談話に押しつけることができ、その結果、それが「グローバリゼイション」と呼ばれるようになったのです。
それは旧ソ連において「民主主義」がいわば「人民の民主主義People’s Democracies」(注1)を意味していたのと同じです。チェコスロバキアやハンガリーでも、彼らは「民主主義」の意味を全く歪めて使う力を持っていました。それと同じように、いま世界をほぼ完全に私物化している人々は「グローバリゼイション」という言葉を、自分たちの高度に特殊化された極めて独断的な見解を表すために、その用語を歪めて使う十分な力を持っているのです。しかしいわゆる「グローバリゼーション」の反対者は実はグローバリゼーションに反対してはいません。彼らは他の形態のグローバリゼーションを求めているだけなのです。それは集中した富と権力を持つ人たちの特権ではなく民衆の権利や未来の世代および環境問題などを優先させるものです。
同じことが全ての協定についても言えます(それは、本当は協定と言えるものではなくて、上記の枠組みの範囲内で制定された条約なのですが)。顕著な例として例えば北米自由貿易協定NAFTAを見てみましょう。この名称の中で正確な表現は「北米」だけなのです。確かにそれは、メキシコを含めて3つの「北米North American」の国に関係しています。でも名称の他の部分については、どの言葉も嘘なのです。内容的に、それは「自由貿易Free Trade」について述べているのではなく高度な保護貿易主義についてなのです。また多くの点において、それは全く「協定・合意Agreement」でもありません。なぜならカナダやアメリカの国民はその大多数がそれに反対しているからです。メキシコ国民の世論調査はありませんが、おそらくはメキシコ国民もそうでしょう。
当時、代案がありました。北米自由貿易協定の実施案に対して背後にはとても強力なエリート階級の合意が存在していました。だから財界はそれが気に入っていたし、メディアもほとんど全部が賛成でした。一方、国民は大部分が反対で、代案になるものがいくつか提案されていたのです。それで、一例を挙げると、アメリカには取り決めがあって、労働者に影響を与えるような国際的経済協定については全て労働者側と協議することになっているのです。この協定は明らかにそういう性質のものでした。ところが労働運動関係者はその協定を知らされもしなかったのです。
米国には、そういった問題を担当している労働諮問委員会がありますから、労働者側は協定が署名される24時間ほど前にはその条文を示されたとは思いますが、民主主義と自由を本当に嫌っていたのはクリントンだったのです。したがって協定については十分に前もって知らされなかったのです。それにも拘わらず、労働諮問委員会は、そのような限られた時間しかなくても、北米自由貿易協定案に対して、ひとつの提案を、とても建設的で詳しい提案を出すことが出来たのです。それは、低賃金、低成長、高利潤の未来(委員会は正確にこの協定の本質を指摘していました)の代わりに、高成長、高賃金、国際的統合のさらなる平等主義を目指して作り直されたものでした。そのような提案がなされていたのです。
実際あとで分かったことですが、彼らの提案は議会独自の調査局や技術評価局によってほぼ同時に提案されたものと非常によく似たものでした。彼らもまたその協定に反対していたのですが違った案だったのです。彼らの提案は労働運動の案と同じ様な批判をしつつ、類似の建設的提案をしていました。しかし、そのどれもが全く報じられませんでした。今日まで、誰もそのことを知らないということです。もう10年以上が経っているのに。その事実は全く隠蔽されたのです。
もちろん労働運動についての議論は報道されました。しかし非難されただけなのです。ニューヨーク・タイムズのアンソニ・ルイス記者は、一般には最も左翼側にいると言われているのですが、彼は労働運動のことを、それが野蛮で厳しい排外的戦術を取っているなどと非難しました。彼は労働運動の見解がどんなものであるのかを知る手掛かりを持っていましたが、彼にとってそれは手掛かりどころか全く報道しなかったのです。私が知る限りにおいては、今日までそのことは報じられてはいません。
「グローバリゼーション」という用語の場合と同じように、北米における「経済協定Economic Agreement」を結ぶことそのものには反対はありませんでしたが、この協定(NAFTA)には反対があったのです。そしてそれに対する建設的な対案があったのですが、それは一度も政治的な議論には付されなかったのです。当時メディアはロス・ペローについては喜んで報道しました。彼の「吸いこむ音」をたてて話す話し方などで、彼をからかったり、冗談を言ったり、などいろんなことが出来ましたからね。でも民衆の運動、例えば労働運動のようなところから直接出てくるような真面目な提案はもちろん、議会の調査局のような所からの提案であっても、メディアの報道事項からは外れるのです。そしてそれは「グローバリゼイション」に付いても全く同じなのです。それは旧ソ連において「民主主義」という言葉がそうであったのと同じなのです。目的は異なっていますが、仕組みは同じなのです。

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