日本人の生活が豊かになっていったのは、産業の“自己保身”政策により、同じ時間で産出する量が増えた成果(財)を徐々に勤労者が手に入れていったからに他ならない。
それでも、急成長する産業が生産する財を輸出・農民・産業勤労者・公務員で引き受けることはできない。
産業が供給する財の多くは耐久財であり、普及期を終えると買い換え需要しか期待できない。
モノクロTVがカラーTVになり、軽自動車が普通乗用車になり、ビデオやパソコンそして携帯電話と新規製品を生み出してきたが、従来的ペースで生産性を上昇させる条件はなくなった。これが、高度成長期から成熟期への移行の論理である。
鶏と卵の関係になるが、産業国家として成功した日本はサービス業を必要とするようになった。
産業勤労者は、生産性上昇の分け前を実質所得の増加というかたちで手に入れていった。それで、欲しかった家電製品や自動車を買い揃えていったり、念願のマイホームを長期の借金を伴いながら手に入れた。
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それでも、可処分所得のすべてを産業が生産する財に使うわけではなかった。
食事を豊かにするためにもお金は使われたし、アイロン掛けなど面倒な仕事をひとにやってもらうためにもお金は使われたし、家族の娯楽や女性をはべらせる夜の遊びに使われるお金も増えていった。
(かかとに穴があいた靴下は繕うよりもゴミ箱に捨てたほうがいいと思われるようになり、家族のためにセーターを編んだりするのも、経済的メリットではなく、楽しみとして行われるようになった)
ポイントは、このような産業勤労者や公務員の消費行動が産業の成長を支えたことである。
クリーニング屋・飲食店・風俗店などに支払われたお金がそこで働く人たちの所得になり、その人たちも家電製品や自動車を買うようになった。
食生活の変化で求められる新しい食材を農民が生産することで農民の所得も増加し、産業が生産する財をより多く購入するようになっていった。
(農民の場合、農機具や肥料なども産業から購入する)
もしも、産業勤労者の家計が、出費を惜しみ家族でできることは自分たちでやり、増加した可処分所得を将来に備えて貯蓄に回していたら、高度成長やその後の低成長も達成できず、現在と同じような「長期デフレ不況」と大量失業者の発生に陥っていた可能性が高いのである。
(貯蓄が設備投資を中心にした借り入れを通じて経済活動に投入されるものであるなら、生産性の上昇すなわち財の供給量増加につながるわけだから、出費を惜しむ結果である貯蓄と矛盾する。だから、可処分所得が少なかったり消費性向が下がるときには、設備投資は控えられ、貯蓄は退蔵と等しくなる)
産業勤労者の家計が産業活動に従事した活動力と自分たちが必要な活動を他のひとの活動力をお金を媒介にして交換したことが、高度成長期のある時期以降の日本経済を支えてきたのである。
85年以降の日本は、「財テク」という言葉が日常語になったことに象徴されるように、庶民までが株式投資や不動産投資に手を染めていった。
これは、平均的産業勤労者が、膨大な返済が付きまとうとはいえマイホームを手に入れ、利便性や娯楽性を高める家電製品を揃え、自動車を保有した上で、外食を楽しみ、たまには海外旅行にも出掛け、将来に向けて貯蓄をしてもなお所得を残すようになった状況の反映である。
貯蓄と「財テク」の違いは、貯蓄が将来に備えるものであるのに対し、「財テク」はお金でお金を稼ごうとすることである。
(かつての貯蓄は、インフレーションによるお金の実質価値の目減りをできるだけ防ぎながら将来に備えるもので、お金でお金を稼ぐという目的はほぼない。現在のようなデフレ状況は、金利ゼロでもお金の実質価値が増加するので、貯蓄がお金でお金を稼ぐ要素を付与する)
株式投資にしろ不動産投資にしろ、株式を保有し配当を受け取ったり、土地や建物で何か事業を行うのなら「財テク」にはならない。
株式や不動産を購入し、ある限定期間だけそれを保有し、価格が上がったときに売却して利益を得ることを目的にした“投資”が「財テク」である。
逆に考えれば、配当率の増加や不動産を通じて得られる収益の増加を超えた株式や不動産の価格上昇分が「財テク」の恩恵である。
配当率の増加や不動産を通じて得られる収益の増加は、それぞれ産業・商業・サービス業の事業収益に依存するものである。
企業の利潤や不動産を使用する費用に見合う収入があることに依存するということだから、大枠としては、これまで説明してきた産業連関の順調な推移が必要条件となる。
では、「財テク」の恩恵は何に依存(由来)するものであろうか?
答えは、余剰貨幣と「財テク」の恩恵を得られるという“幻想”がともに存在し、“幻想”の対象が流通していることである。
事業や生活で必要なものを超える余剰貨幣がなければ、不要不急の株式や不動産を購入することはできない。
10億円で買った“モノ”が11億円で売れるという見通し(「財テク」の恩恵を得られるという“幻想”)がなければ、配当を目的とせず使用を目的としない株式や不動産を買うバカはいない。
(株式の場合は値下がりを予測して投資することもできるので、10億円で売った“モノ”を9億円で買い戻して利益を上げることができる)
しかし、「財テク」の恩恵を得られるという“幻想”が生きているのなら、“幻想”の対象である株式や不動産を保有しているひとも、もっと高くなってから売ろうと考えるから、新規の株式や不動産が市場に現れないと余剰貨幣を投じる対象が不足することになる。
(不足が価格上昇の要因であるが、誰もが株式や不動産を握り締めて売りが無であれば取引は成立しないので価格上昇は現実のものとはならない)
80年代後半の「バブル形成」は、余剰貨幣と「財テク」の恩恵を得られるという“幻想”がともに存在するなかで形成されたものである。
余剰貨幣を支えたのは、「プラザ合意」以降の超金融緩和政策であり、有力企業が徐々に資金を自主調達できるようになり貸し出し運用に窮するようになった銀行の「財テク」向け貸し出しであり、企業が積み上げてきた内部留保である。
(余剰貨幣に占める家計を使う個人投資家の比率はたいしたものではない)
「財テク」の恩恵を得られるという“幻想”は、土地や株式はインフレ率を超えて右肩上がりに高くなるという「土地神話」と「株式神話」が基礎であり、政策的に増加した余剰貨幣が実際に株価や不動産価格を上昇させたことや大手新聞までが煽った「財テク神話」に支えられていた。
最後の投資対象の不足は、NTTを中心とする政府放出株式や企業の時価発行株式、そして、有名な「地上げ」が補った。
(それでも“幻想”の量に対して不足だったから、株価も地価も急上昇した)
「財テク」の恩恵は、余剰貨幣を持つAから投機資産を持つBへの貨幣の移転によってのみ現実化される。
多くが「財テク」の恩恵を得られるという“幻想”を抱き、余剰貨幣があるうちに、投機資産を売却した者のみが実際の恩恵を手にする。
いちばん損失を被るのは、“幻想”が消滅する直前に投機資産を購入した者である。
ひとより早く“幻想”と余剰資金を手にして投機資産を購入した者は、「バブル崩壊」後でも利益を上げることができる。
「バブル崩壊」で誰もが損をしたかのようにも言われているが、それは嘘であり虚妄である。ちょっと考えればわかるように、損をした人がいるということは得をした人がいるということである。
貨幣と資産の交換である「財テク」は、得をした人がいないまま、損をする人だけがいるということはないからである。
「バブル崩壊」の悲劇は、ただ一つ、預金者のお金を「財テク」や異常に値上がりした不動産購入のために貸し出した銀行が“崩壊”したことである。
端的には、得をした人たちが「財テク」を通じて預金者のお金も手に入れたことが、その後の悲劇を引き起こしたのである。
150兆円とも言われる大量の預金が、“有能”か“幸運”かはたまた“秘匿情報”の持ち主であった「財テク」行使者の手に渡ったはずである。
だから、財務的危機に陥った銀行への公的資金の投入は、銀行の犯罪的貸し出し行為や「財テク」で儲けた人たちをそのままに、庶民が預金を保護し銀行の存続を助けたことを意味する。
そうでありながら、政府(財務省)は、「財テク」(直接金融)を煽り続け、金融利得(「財テク」の恩恵)に対する課税を事業活動の所得よりも有利なものにしようとしているのである。
このような経済の発展論理(戦後日本経済史)を理解しないまま、“失われた10数年”とも言われる「長期デフレ不況」への処方箋を書くことはできない。
敗戦そして「バブル崩壊」と「長期デフレ不況」といった自らの失政の要因を明確にすることも反省の弁もないまま、その後も支配者として国家を運営するのみならず、そのツケを庶民に回している“エリート”たちを信じ続けたり委ね続けるのなら、庶民は“生き地獄”に突き落とされることになるだろう。
8/1/25

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