「世界支配層は「産業主義近代」の終焉後の世界に向けて動いている 下」
産業主義近代の終焉
上からの続きです
● 「生産性上昇が国民生活の向上につながらない時代」とは
フリードマン補佐官が語った「生産性上昇が国民生活を向上させない時代」とはどういうものであろうか。
国民生活が全体として向上するための条件は、就業希望者の多くが就業し、就業を通じて得られる実質所得が増加することである。
失業者が増加するなかで、就業者の所得が少し増加したとしても、国民生活が全体として向上するとは言えない。
企業家がすべて善意の人で、一定額の利益以上は追求せず、そのような条件があるのなら従業員の給与を増やすものとする。
思い出して欲しいのは、経営に問題を生じさせないで給与を増加できるのは、生産性の上昇が達成できるということである。
逆に言えば、企業家がすべて善意の人であれば、生産性が上昇する限り、国民生活は向上することになる。
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さらに言えば、生産性を上昇させても経営にシコリが残らない方策の一つは、国民生活向上につながる給料をアップさせることである。
給料をアップさせないでスムーズに生産性を上昇させようと思ったら、生産性の上昇で実現される財(製品)の生産量増加をすべて輸出で消化しなければならない。
(一部でも輸出できなければ、国内需要は増えていないから、それは売れ残りとなる)
しかし、これは、企業家がすべて善意の人である今回のモデルではありえないことである。
なぜなら、輸出増加で企業は潤っているから、従業員の給料もアップするからである。
このような考察から、「生産性上昇が国民生活の向上につながらない時代」とは、勤労者所得は据え置きで輸出だけがガンガン増加していく経済状況であることがわかる。
(このような経済状況は、ガンガンというほどではないが輸出増加で潤っている最近の日本経済と言えるだろう)
フリードマン補佐官は米国政権の中枢にいる人だから、米国について考えてみる。
この間の米国は、生産性上昇を高いレベルで達成していると言われている。
米国は貿易収支赤字が増加しているくらいだから、輸出増加でそれを達成しているわけではない。
もう一つの条件である勤労者所得の増加も実現されていないし、所得額総量で貢献する失業者大幅減少も達成されているわけでもない。
それならば、生産性上昇は何によって達成されているのか?
答えは、「国民生活の低下」である。
おいおい、待ってくれよ。これまで国民生活を低下させることで生産性上昇が達成できるなんて話はなかったぜ、どうことか説明してくれとお叱りを受けるだろうが、それも可能なのである。
但し、それは、産業活動を基盤とした「産業資本主義近代」ではムリである。
(生産性上昇率を超える輸出増加率を持続すれば可能だが、どこの国も同じ経済論理に縛られているのだから、それだけの輸入を受け入れ続ける国々はない。それは、経済論理の束縛から相対的に自由である米国と日本の間で続いてきた“貿易摩擦”を思い浮かべればわかる)
生産性は、企業活動に投入した金額と企業が回収した金額の比率であり、製造業でなくとも算出できる。金融業でも生産性の上昇はある。
また、生産性は変化率だから、絶対額が増加しているとは限らない。
たとえば、1億円を産出するために7千万円を投入していた企業が、8千万円を産出するために5千万円の投入で済ましたとしたら、生産性を10.7%上昇させたことになる。
(産出額が減っても利益を増やすことはできる)
次に、金融業は、財(製品)を生産し販売しているわけではなく、貨幣の取り引きを通じて利益を上げている。
製造業なら売上を上げるためには生産量を増加させなければならないから同じ生産性であれば人を増やさなければならないが、金融業なら、1億円の取り引きも1000億円の取り引きも同じ人数でできる。
債券類は売れ残ることはあるが、そうであっても印刷代が損するだけの話であり、製造業のように大きな打撃を受けることはない。
また、低所得者を相手にしているわけではないから、低所得者の生活がどうであろうとそれほど考慮することはない。
さらに、財の輸出と違って、ほとんどの金融市場に自由にアクセスできる。
(外国人投資家が入ってくることを歓呼の声で歓迎している日本の現状を考えればわかる)
金融業は、人とコンピュータ(端末を含む)と回線で事業ができる。コンピュータと回線が安くなり、コンピュータと回線で取り引きされる割合が増加すれば、人を減らすことができる。
それはイコール生産性の上昇である。
金融業の利益は、ストレートに他者が保有していた貨幣的富の移転である。これそのものが、「国民生活の低下」を意味する。
金融業が利益を減らさずに生産性を上昇させるためには、取り引き量が拡大していない限り、雇用する人の数を減らさなければならない。
これも、「国民生活の低下」を意味する。
しかし、それだったら、米国はメチャクチャになっているはずだという疑問も出てくるだろう。
メチャクチャにならないためには、外国から金融利益を上げること、政府が外国からできるだけファイナンスして赤字財政支出を増やすこと、同じ財ならできるだけ安いところから輸入すること、金融利益の吸い上げは金持ち中心にすること、最後に、金融利益の吸い上げ増加は産業の生産性上昇に見合う範囲にすることが“秘訣”である。
次回は、それらでメチャクチャにならない論理と「なぜ「産業資本主義近代」は終焉するのか」について説明させてもらう予定である。
「産業主義近代」の終焉で最大の打撃を受けるのは、世界で最も成功した産業主義国家日本であるに続きます。
8/1/17

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