現在物理学ではニュートンの「運動の法則」もアインシュタインの「相対性理論」も全て「暫定真理」、つまり仮説とされている。
その中で唯一真理であると認められているのが「熱力学の法則」である。
この「熱力学の法則」は第一法則、第2法則からなり、「宇宙における全エネルギーの総和は一定で(第一法則)、全エントロピーは絶えず増加する(第2法則)」というものである。
第2法則は不可逆性の謂いであり、喩えて謂えば「覆水盆に返らず」と言うことである。
我々日本人にはなじみの深い仏教や老子の教えにはこの「熱力学の法則」の基本的な洞察である不可逆性の概念が内包されおり、この法則は我々にとって親和性が高い。
エネルギーは不生不滅であるが、その形はたえず変わっている。
そしてその変化は不可逆で、常に利用できる形から利用できない形へと向かう。
例えば石油を燃やした場合、二酸化炭素などの気体に変わりやがて空気中に拡散する。
その過程でエネルギーはいっさい消失しないが環境の中に拡散してしまい、もう一度燃やして有用な仕事をさせることはできない。
この様に、エネルギーが形を変えるときにはかならず、その過程で”利用可能な”エネルギーが失われる。
この使えるエネルギーの消失が「エントロピー」とよばれる。
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地球は、太陽系や宇宙との関係においては、隕石が落ちるようなケース以外では物質の交換はせず、エネルギーの交換のみをおこなう。
自由に使えるエネルギーの源は太陽であり、植物は光合成で太陽のエネルギーを取り込み、凝縮したエネルギー源を動物に提供する。
生物が腐敗して炭素堆積物となり、石炭や石油や天然ガスとして、現在の人間が燃やしている。
地球に存在する物質の量は一定であり、それが太陽エネルギーの力を借りて、生物などの有用な形にかわりうるだけである。
石油を燃やして使われたエネルギーは気体となり、もやは仕事をさせることはできない。
遠い未来に、炭素堆積物が地質史上の一時代に再び集積することも考えられるが、人間の歴史スパンより遥か先であるため、化石燃料は「再生不能エネルギー源」とよばれる。
このようにエネルギー問題で肝心なことは、その存在ではなく、使用可能かどうか、つまりエネルギーの「質」が問題である。
「質」が高いとはエントロピーが低いと言うことで、濃縮度が高いと言い換えればわかりやすい。
エントロピーを低くするには必ず外部からのエネルギーが必要である。
石油(天然ガスを含む)が未だにエネルギーの主役であるのは上記のように、それが数億年の歳月をかけてエントロピーの低い状態に濃縮された、最も質の高いエネルギーであり、他に変わるべきものが無いからである。
さて一体、エネルギー源として使用しうる資源であるかどうかの指標は何であるかと言うと、エネルギー利益率(EPR:Energy Profit Ratio)が1.0以上かどうかである。
エネルギー利益率(EPR)とはエネルギー生産に必要な入力エネルギーと生産される出力エネルギーの比で、エネルギー利益率:EPR= 出力エネルギー/入力エネルギーである。
当然これが1.0以上でないとエネルギー資源、エネルギー技術は全く意味を為さない。
したがって石油と言えどもエネルギー源として意味を持つのは、採掘、精製、輸送などに要する入力エネルギーが有効な出力エネルギーを下回る限りであり、採掘条件が悪化すれば、枯渇を待たずに資源としての意味を失うこともあり得るのである。
エネルギー利益率が使えるエネルギ資源であるかの絶対的判定基準となる。
海水ウランが資源として無意味なのは、ウランを濃縮するために使われる消費エネルギーが莫大だからである。
濃集こそが資源の本質である。
未だに海水は膨大な資源という人が絶えないのはこの事情に無理解であるからである。
太陽光、風力、地熱等がエネルギー資源としてもてはやされていても実用化の見込みが無いのはひとえにエントロピーの高くエネルギー利益率が低いが故であり、技術革新で解決できるような問題ではない。
本質的、原理的に資源としての価値が無いのである。
最近話題のメタンハイドレードも海底深くに存在すること、固体であり採掘に多くのエネルギーを要すること、偏在しておらず広く存在しすること等からEPRが1.0を越えることは疑わしく、メタンハイドレード層の上部に有るとされる天然ガスの利用はさておき、過度の期待は禁物である。
代替えエネルギーには政府の補助制度等のため、見かけ上、投じられる金銭が得られるエネルギーの対価として見合う場合もあり得る。
しかしエネルギー問題を論じるには今までの論の如く、元々どの程度エネルギーが間接、直接に投じられたかが問題である。
部分的、皮相的に見ては本質が見えないのである。
原発もウラン精製に掛かるエネルギー、廃棄物処理に要するエネルギーを忘れてはならない。
ただしこの問題は別の側面、つまりウランには石油エネルギーの缶詰として石油の途絶などの非常時に備える意味があると。
またトウモロコシ等の農産物からアルコール燃料を、という自然エネルギー派も注意が要る。
それは現代農業は、膨大な石油を使うからであり、食料供給とも真っ向から対立するからである。
ちなみに近年はこの需要によりトウモロコシ価格などに影響も出てきている。
2006年に迎えたとされる石油ピークは様々な分野で深刻な影響を及ぼすと思われるが、最重要問題は交通輸送である。
車、飛行機は石油無しには動かない。
蕩尽しつくした石油に変わるエネルギー資源はもう無いと思い定め、これに対応するには物、人の移動無くして成り立ちうる社会を構築する事が必要である。
これはかなりの大変革であり新たな世界観、価値観の構築と普及が必要である。
しかし、これにかけられる時間は石油、天然ガスが使用可能であると言われる、たかだかあと100年程度である。

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