戦後日本の高度成長期の日本は、庶民にとってはインフレが悩みの種だった。
デフレの今からは想像しにくいことだが、世論調査でトップを飾る問題は「物価高」だったのである。
高度成長期の日本は、実質成長率が9%でインフレ率が15%といった感じで推移し、給料のアップは、インフレ率+αというのが通例だった。
春闘で給料アップが決まるのだが、ベースアップの恩恵は、インフレのために半年ほどで打ち消される状況だったと考えればいいだろう。
インフレは、物価水準が持続的に上がっていく経済事象である。
このような経済事象が起きる基本要因は、通貨が金本位制から管理通貨制に移行したことにある。
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「産業資本主義」の終焉:インフレーションと経済成長(デフレーションと不況):インフレは産業への“賛助”である。投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 17 日
1万円札は、日本で強制力をもって通用する通貨で10,000という値を持つもの以外の何ものでもなくなった。
1万円札でいかほどの財やサービスが買えるかは使ってみなければわからないし、使って確認したとしても、明日もそうであるという保証はなにもない。
なんでも買える万能のお金、誰もが欲しがるお金が、それ自体としては価値性を有さなくなったのが管理通貨性の特徴である。
(金本位制であれば、10円は金1gという価値実体に結び付けられており、紙幣に不安を感じるときは金に兌換することができた)
日本のみならず先進諸国が戦後に経済成長を遂げた大きな要因の一つが、管理通貨制を活用したインフレーション政策である。
インフレは、自然現象ではなく人為的な事象だから、インフレにしたくなければインフレを抑えることができるというものである。
現在の日本の問題に引きつけると、インフレは金融政策で容易に起こせるが、デフレを金融政策で解消するのは至難という経済論理がある。
(「大恐慌」後の米国の苦悩を思い起こせばわかる。当時は既に管理通貨制である)
物価は、「貨幣供給量×流通速度/財の供給量」で決まると一般的に言われている。
ある期間の財を買おうとする通貨量と財の供給量の関係で物価水準が決まるという説明である。
これは、大枠として直観的にも受け容れられる考え方である。財を欲しいと思っている人たちがいっぱいお金を持っていて、財の供給量がそれほどなければ、財の価格は高くなるというのは自然である。
(現実には、そんなシンプルな論理で価格が決まるわけではないが、大枠としてそう理解しても誤りではない)
インフレは、明示的ではない「増税」であり、法的な責任を問われない「債務切り捨て」である。
「増税」だというのは、所得諸税であれ物品諸税であれ資産諸税であれ、同じ税率が維持されていれば、インフレによって徴税額が増えるからである。
とりわけ、累進課税になっている個人所得税は、インフレによって名目所得が増えることで適用税率が高くなり、実質所得は逆に目減りするという事態にもなる。
(このため、高度成長期の日本では所得税減税が数年おきに実施された)
「債務切り捨て」だというのは、ある時点で10年返済で10億円借りて機械を購入したとしたとき、3年後にインフレにより同じ機械が12億円になったという事態を思い浮かべてもらえばわかりやすい。
利息を含めて総額で20億円返済したときに機械が21億円していたら1億円は“得”したことになる。
※ 勘がいい人は、「財政危機を叫んでいる日本政府はインフレにすればいいじゃん」と思われただろう。
税収不足と膨大な債務で喘いでいる日本政府は、庶民にそのツケを回すのではなく、インフレという経済事象を利用して財政を立て直さなければならないのである。
それは、国民経済主義への転換によって可能でもある。現在のような政策を採り続ければ、国民生活のみならず財政もさらに悪化すると断言する。
インフレという経済事象は、立法措置なしで増税ができる政府部門の利益はともかく、借り入れで事業を拡大しようとする企業にもっとも有利なもので、その恩恵を受ける産業勤労者や農民が次に有利で、金利生活者が損をするというものである。
(農民は米価政策が変更されたのでインフレで有利だとは言えない面もある)
蓄えていた預金で老後の生活をする人は、預金金利はインフレ率よりも低いものだから、インフレで過酷な状況に追い込まれて行く。
(最初は利息200万円で生活できていたのに、5年後の200万円では10ヶ月分にしかならないという状況)
しかし、同じ金利生活者であっても、銀行は、貸し出し金利が預金金利よりも高く、「信用創造」という“詐欺”もできるので損を被ることはない。
(「信用創造」とは、同じ1億円で5億円の貸し出しを行うような国家公認の“詐欺”である。バブル崩壊の傷が深いのも、この“詐欺”でおかげである)
インフレは、財の生産活動に従事している人には有利で、利息取得活動に従事している人には不利だと考えればわかりやすい。
インフレがどれほど財の生産活動に従事している人に有利なのかを考えるためには、インフレではない経済状況がどうなるかを考えるのがいちばんである。
そう、この間の日本経済を考えるといちばんわかりやすい。
産業の生産性上昇は、固定資本(機械設備)の増加によって達成される。そして、その償却は10年といった長い期間で行われる。
しかし、「
産業主義近代」の終焉:“自然の恵み”ではなく“人々の恵み”が産業を発展させ生活も向上させてきた。」で説明したように、減価償却費を生産する個々の財に上乗せして販売することはできない。
(その理由は、ある企業が機械設備に投じたお金は、その時点の需要(GDP)に貢献するものであって、償却期間中に使われる(需要になる)ものではないこと)
固定資本を増加させて達成した生産性の上昇は、同じ労働者の数で生産を続けた場合、生産する財の量を増加させる。
これは、上述の物価が決まる一般式に照らせば、物価を押し下げる変化である。
機械導入の是非は、それで生産性が上昇し、生産する財が従来の価格で販売できるというという見通しのもとで判断されたはずである。
インフレでない限り、それを現実のものにするためには、生産増加分の財を輸出するしかない。
(産業全体で考えれば、輸出で稼いだ貿易収支黒字が減価償却費や利益の原資となる)
輸出が増加しなければ、生産性の上昇は物価下落(デフレ)という悪夢に変わる。
8/1/17
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