「メキシコ湾酸欠海域が浮き彫りにする市場経済の盲点」
農業問題
持続可能性研究所(www.sustainer.org)エリザベス・サウィン氏の記事を紹介します。
「労働と資本以外にも、もっと効率的な使い方を必要とすることはたくさんあります。土壌、水、地域社会における生活の質――そういった資源も私たちには必要なのです。私たち全体の利益となるように市場を機能させるには、これらの資源を注意深く使う人々に対して、どう報いればよいのかを正しく判断することが必要となってきます。」
以下は農業と環境の悪循環を経済の視点から解決策を見いだそうとする氏のレポートです。
2002年10月1日: 科学雑誌『サイエンス』8月16日号の表紙には、「拡大するメキシコ湾酸欠区域」という不吉な前兆をほのめかす見出しが掲げられていました。見出しの右側にはメキシコ湾の地図が描かれており、そこには、米国の海岸線に沿って湾内に不規則な形で広がる海域が緑の縞模様で示されていました。これがメキシコ湾酸欠区域です。メキシコ湾のこの一帯では海中に溶存する酸素の濃度の水準が非常に低いので、カニやエビを含むたいていの海洋生物は生存できません。この問題を引き起こす主な原因は、ミシシッピ川流域の農場から流出する化学肥料であり、その流出水に刺激されて藻類が異常発生しているのです。藻類が死ぬと、それらは水底に沈み腐敗して分解するのですが、その過程で酸素を使い尽します。今年メキシコ湾酸欠区域は以前にもまして大きくなり、2万2千平方キロメートルというニュージャージー州よりも広い面積にまで拡大しました。
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もちろんメキシコ湾酸欠区域は、農業が及ぼす数多くの有害な影響の一つにすぎません。先日、一人の男性が私の事務所を訪れ、椅子に腰掛けて、カンザス州をドライブした時の話をしてくれました。そこで広大な土地が灌漑されているのを目の当たりにした彼は、「あの地域の農家の人たちは『ナショナル・ジオグラフィック』(地理の知識の普及を目的とした米国の月刊誌)を読まないのでしょうか?灌漑によって帯水層(地下水の供給源)が枯渇するということが、彼らにはわかっていないのではないでしょうか?」と言いました。
またさらに、地下水に集積する除草剤、川を汚染する養豚農場からの肥料、人体に与える影響がよく分からない遺伝子組み換え作物などの問題があります。これらを総合して考えると、人々は、どれもこれも農家に責任があると結論づけてしまうかもしれません。結局のところ原因はすべて、農薬や化学肥料を用い、遺伝子組み換えの種を播くといった、農家が土壌に対して行っていることに帰着するからです。しかしながら、トウモロコシ生産におけるこれらの問題の根本原因を突き止めようとする研究に4年間を費やした私には、問題は農民の金銭欲や無関心といったことよりも、むしろ経済の領域にあると断言できるのです。
農家の人々は、自由市場経済における全ての企業家のように、農業ビジネスを続けてその中で生き残るための競争をしています。その「競争」という言葉の意味は明確に定義できるものです。労働、土地、機械、種や肥料の圃場への投入にかかる経費を最小にして、穀物生産高を最大にできるのは誰か? 自由市場経済では生産高/経費の比率を最大化することに最も優れている農家が、最も「有能な」農家であり、ビジネスに生き残る可能性が最も高いのです。自由市場経済において「最も無能な」と揶揄される農家の人たちと彼らが行なってきた伝統的な農業のやり方が姿を消すにつれて、農業は全体として益々経済的効率を優先するようになっていきます。このように経済効率を追い求めた結果、農作業の面においてはとてつもなく大きな技術革新がもたらされ、その生産性は飛躍的に増大しました。トウモロコシの収穫高は、1940年に4反当たり約760キログラムだったのが、今日では4反当たり約3,000キログラムにまで上昇しています。
それが最も重要な点であり、それこそが我々の市場経済が我々のために成し遂げようとしていることだ、と人びとは考えているのかも知れません。
しかしメキシコ湾酸欠区域、地下水に集積する除草剤、小川に流れ込む肥料についてはどうなのでしょうか? 人間が必要とするものに対して実際に効率よく物事を解決していくために私たちは何をするべきでしょうか? そのためには、農場の下に清浄な地下水が豊富に流れ、その下流地帯には健全な漁場があることも解決すべきことに含めるべきではないのでしょうか? 私たちにとって自由市場経済は、人間の必要性を満たしていくための大切な手段ですが、なぜこうした面に対してもっと配慮を示す仕組みになっていないのでしょうか?
同僚と一緒に、農家、農業の擁護者、環境保護主義者、政策立案者を取材した後、私たちは次のような見解に達しました。すなわち、効率性の概念を我々の社会はどう定義しているのか、そこに一つの解答がある――と。農家が利益を得て、何とか土地を手放さずに持ち続けられるかどうかは、ある種の効率性によって決まります。しかしそれは経済効率のみに偏重した特殊な効率性なのです。つまり、労働、土地、機具、種や肥料などの投入等に係わる必要経費をできるだけ節約しつつ、農作物というただ一つのものをできるだけ多く生産することだけに照準を定めた効率性です。メキシコ湾を健全な状態に保つことや、水の品質管理に関する経費節約といったことと、経済偏重の効率性とは何の関係もありません。もっぱら市場で生き残るための農業経営を判定する効率性を考える者にとって、メキシコ湾の問題など考慮の対象外になってしまいます。そういうわけで、メキシコ湾に酸欠区域が生じ、その酸欠区域はますます広がっているのです。
このようなやり方をしなければならない必然性などないのです。私たちの現在の効率性の定義には、自然界の法則を考慮したことが何も含まれていません。私たちは、私たちの思考を新しい方向に設定し直し、「私たちがもたらす利益」の範囲をもっと拡大していくことができるのではないでしょうか。私たちは、麦や大麦だけを農業の成果と考えるのではなく、清浄な水を保ち土地を再生するといったことも農業の成果として考え始めることができるのではないでしょうか。ヨーロッパの多くの国々がまさにそのようにしてきたのです。ヨーロッパでは農家と農地は、農作物を生産するだけではなく、美しい風景、清浄な水、生物種の多様性などを生み出すものと考えられています。政府は政策の一環として、農産物以外のこうしたさまざまな種類の生産性に対して報酬を与えているのです。
私たちはまた、農家に経費の節約を要望する項目の数を増やすことができるはずです。労働と資本以外にも、もっと効率的な使い方を必要とすることはたくさんあります。土壌、水、地域社会における生活の質――そういった資源も私たちには必要なのです。私たち全体の利益となるように市場を機能させるには、これらの資源を注意深く使う人々に対して、どう報いればよいのかを正しく判断することが必要となってきます。
方策がないというわけではありません。経済学者たちは、自然環境を守るための土地管理に対して報酬を与えることから環境汚染に税を課すこと(環境税)まで、十分すぎるほどの方策案をすでに提示しています。しかしながら私たちは、人々が次のよう「期待」を捨て去るまでこれらの方策案を採用することはないでしょう。その「期待」とは、極めて限定された目標設定の下で競争を行うことにより、もっと広い範囲に渡って実現が望まれる他の目的も何とか達成できるのではないか、というご都合主義の期待です。そうした期待を抱くのは、SAT(大学進学能力基礎テスト)の得点だけに基づいて新入学生を選抜し、とにかくその学生はアメリカンフットボールや室内楽にも優秀であろうと想定する大学と同じようなものです。
以上のことは、成り行きまかせのご都合主義では決して解決できない問題です。もしアメリカンフットボールと音楽に優れた学生を希望するのであれば、自分の大学に参加してりっぱにやっていける学生かどうかを判定する基準は、アメリカンフットボールと音楽に即したものでなければなりません。そして入学を許可する基準には、音楽や運動能力に対する一定の評価が含まれていなければなりません。同様に、健全な農業生態系を目標にする場合には、農家が農業体系に参入してりっぱにやっていけるかどうかを判定する基準は、健全な農業生態系という事柄自体に即して設定されなければなりません。その基準で判断するなら、最も有益でふさわしい農家とは、健全な作物を生産し、野生生物の生息地を保全しつつ、農地は一定の厚さの表土で覆われており、近くを流れる小川はいつもきれいな水であふれているような、そうした農場運営をしている農家だということになります。私たちが環境税や奨励金などの方策を用いるのは、そのような基準が確立しその適用を確実なものとするために必要となる時なのです。
このように拡大した意味で「効率性」の概念を定義する私たちの考え方が広く行き渡る時、メキシコ湾の酸素濃度は再び上昇するでしょう。そしてその時、雑誌の見出しは「縮小するメキシコ湾酸欠区域」となっているでしょう。
参考:
THE NEW FARM

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