農業情報研究所(WAPIC)の4/17付け
「早まる自国資源を使い果たす日、今年の英国は4月16日、日本は3月3日」の記事によると例えば、日本人が自国のみの資源に依存して生活できるのは一年の内3月2日までで3月3日から大晦日までを外国資源に依存しなければ生活できないという。
世界レベルでもこの日付は早まっている。今年は10月23日だ。やはり地球1個では現在の全世界の人口の生活スタイルは維持できない。現在、多くの途上国はこのような”負債”を持つに至っておらず、先進国の生活スタイルによる負債がこれに大きく寄与している。
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以下引用
英国のニューエコノミックス財団とオープン・ユニバーシティーが16日、自国資源を使い果たし、外国資源に依存するようになる今年の日付を示すカレンダーを発表した。これは、各国の人間が消費する資源を生産し、また生じる廃棄物を吸収するためにどれほどの土地と水が必要かを測定するシステム、エコロジカル・フ ットプリント[人間の活動によって環境に永久的に残る影響]の概念に基づく予測を示すものだ。
Britain starts eating the planet on Sunday 16 April 15/04/06
The ecological debt day calendar
例えば、英国についてのこの”エコロジカル負債”が生じる日付は4月16日になる。これは、英国の今年の消費を満たすためには、3.1個の地球が必要になることを意味する。この日付は年々早まっている。1961年には、地球は英国の生活スタイルを持つすべての人を支えることができた。しかし、現在は、3.1個分の地球がなければ英国の生活スタイルは維持できないという。
この日付を大きく左右する要因の一つが食料の輸入だ。国内で生産される食料では量質が足りず、輸入食料に依存しなければならないような食生活スタイルが広まれば広まるほど、この日付は早くなる。英国の食料自給率は、この10年間、着実に低下してきた。国内生産は、この半世紀で最低のレベルになっている。エネルギーに関しても、2004年には北海油田の生産減少により純輸入国に転じた。
世界レベルでもこの日付は早まっている。今年は10月23日だ。やはり地球1個では現在の全世界の人口の生活スタイルは維持できない。現在、多くの途上国はこのような”負債”を持つに至っておらず、先進国の生活スタイルによる負債がこれに大きく寄与している。
例えば、この日付が最も早いのはオランダの3月2日で、次いで日本が一日遅れの3月3日だ。イタリア:4月13日、英国:4月16日、スペイン:5月1日、スイス:5月6日、ポルトガル:5月13日、ドイツ:5月29日、米国:6月24日、チェコ:7月18日、フランス:7月27日、ハンガリー:8月2日、ポーランド:8月5日、デンマーク:8月17日、トルコ:9月27日と続く。
しかし、将来は、とりわけ中国やインドのような新興国の生活スタイルの変化で、世界のこの日付も大きく早まるだろう。先進国が生活スタイルを改め、途上国に範を示さないかぎり、地球規模での破滅は避けがたい。
土地面積に比べて人口が多く、資源に恵まれない国が米国流の生活水準を維持しようとすれば、この日付は早くなるのは当然に見える。しかし、そのために生活スタイルまで真似る必要はあるのだろうか。輸入にますます依存するようになればエネルギー消費は増え、地球温暖化を加速させることにもなる。自由貿易こそが地球資源の最適な配分を促し、世界の人々の最高の福祉を実現するという経済学の支配的見解も、根本的 に見直すべき時期かもしれない。
関連情報
国連環境計画地球水アセスメント 水効率の悪い灌漑農業を止め、肉消費も減らせ,06.3.24
欧州環境庁、「技術はすべての環境問題を解決しない」 ミレニアム・エコシステム・アセスメントを受けて,05.4.14
引用終わり
エコロジカル・フットプリントに関して補足:
ワッカーネゲルらの論文「人類の経済は生態学的大幅赤字をたどる」*では、人間活動がすでに地球の限界を大きく超えつつあることが地球面積を指標とした分かりやすい数字で検証された。ワッカーネゲルらは、統計データを駆使して、生活に必要とされる主要資源、すなわち、農作物・畜産物・木材・漁業・淡水調達などのための農耕地・牧場・植林地・漁場・貯水池などとして利用されている土地、市街地や道路などインフラ整備のために使われている土地、加えて、大気中にこれ以上二酸化炭素濃度が蓄積しないよう化石燃料の利用の際に放出される二酸化炭素の吸収機能を森林など植生に求めるとして、これに必要な土地、これらの面積を把握し標準化した上で合計した。すなわち、地域による生物生産性の違いを考慮しつつ、人類の主要な活動のための面積需要を積み上げて評価した。
*
Wackernagel, M. et al. (2002) Tracking the ecological overshoot of the human economy, PNAS:99:9266-9271.
計算の結果は、人類の活動がすでに地球の限界を越えてしまったことを如実に示すものである。人類が利用する地球面積の総需要は 1980 年頃にすでに実際の地球の面積を超え、1999 年にはほぼ 20%の大幅赤字になっているというのが、その計算結果である。この生態学的赤字のもとでも人類がその活動を維持できるのは、地球の過去の遺産というべき化石燃料にそのエネルギーや原材料の多くを頼っていることによる。
一人あたりの面積需要すなわちエコロジカル・フットプリント(主要な再生可能資源と循環に必要な土地面積)を国別に計算した結果によれば*、一人あたりのエコロジカル・フットプリントがもっとも大きい米国では、その値が 9.70 グローバルヘクタール(地域の生物生産性格差を補正した面積をヘクタールで表したエコロジカル・フットプリントの単位)にのぼるが、アジア・アフリカ諸国の平均値は 2 グローバルヘクタール未満であり、さらに、世界の最貧国と呼ばれている国々では1グローバルヘクタールにも満たない。ちなみに日本人のエコロジカル・フットプリントは 4.77 である。それぞれの国で、富裕な人々と貧しい人々の間には大きなエコロジカル・フットプリントの差異があるはずである。そこに見られるのは、現在、資源を浪費し、環境劣化をもたらす元凶となっている先進国の一部の富裕層と、つつましく生きる多数の人々のうち、悪化した環境から深刻な被害を受けるのは環境劣化に責任のない後者なのだというはなはだ不公平な構図である。
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WWF, Living Planet Report, 2002. [「生きている地球レポート 2002」WWF(国際自然保護基金)
生態学的なアンバランス、すなわち、生物生産とその生産物の消費、二酸化炭素の吸収と放出の間のアンバランスに責任があるのは日本も含めた先進国であり、特に、巨大なエコロジカル・フットプリントによって生態学的赤字への寄与が格段に大きい米国の責任は重大である。
その北アメリカでは、ピルグリム・ファーザーズがメイフラワー号でニューイングランドに入植した 1620 年からわずか 350 年程後の 1930 年頃に、すでに開拓による環境破壊が深刻な問題として認識されるようになった。大平原は、かつての森林や草原がもとの姿をほとんどとどめないまでに農地として開発されたが、植被を失った平原が砂嵐地帯と化したため、多くの農地が放棄された。それは、征服型文明による砂漠化、荒廃地化の一つの典型であるともいえる。その後も征服型の開発、略奪型の資源利用が大陸全体の環境を蝕(むしば)んだ。北西森林地帯では 1900 年初頭までは巨木の森林が残されていたが、今では老齢林はほとんどなく、管理に失敗して荒廃した森林が目立つようになっている。中西部の農地に大量に施された化学肥料は、ミシシッピ川を富栄養化し、最終的にメキシコ湾に無酸素層が発達して生物の棲めない死の海を拡げつつあるが、その面積は 18,000 平方キロメートルにもおよぶ。
狩猟者としてのヒトへの進化がその心にもたらした攻撃性を肯定的に捉え、その全開をもって資源不足などの問題を克服しようとする征服型戦略は、強力なテクノロジーを手にして、地球上の広大な土地を短期間のうちに荒廃させた。一方で、過去の生物生産の遺産ともいうべき化石燃料の略奪的な利用により大気組成の急激な変化を通じて気候を不安定化させた。開発の世紀 20 世紀に地球を支配したこの戦略がすでに破綻をきたしていることを、人々は気づきはじめた。環境の限界性にてらして誤り以外の何物でもないその戦略を捨て、一旦はそれによって征服され抑圧された「おだやかな物腰の」共生戦略を重視する以外に、将来の人類に幸せを保障する途はないであろう。生物多様性がそのためのキーワードである。生物多様性の保全という目標をつねに意識することにより、ともすれば征服型になりがちの人間活動を抑え、持続的に環境と折りあう共生型のあり方を追求することができる。
すでに 190 ヶ国近い国々が締約している生物多様性条約に米国はまだ加盟していない。
自国のバイオテクノロジー産業の世界征服戦略にとって生物多様性条約は障害となるからである。
以上

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