「アメリカの人工透析センターは早くから営利企業が参入、現在では70%近くが営利で運営されており、人工透析装置の再利用や透析時間の短縮、コメディカルの透析士を中心とした治療が行われている。
このためその臨床成績は年々悪化し、わが国の人工透析の生存率よりはるかに劣っている。
また、メディケアの医療費抑制政策のため、支払い制限が頻繁に行われたことも成績低下の要因となっている。
利潤を上げるために極端な制限医療と支払い制限を行っている。
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引き続き
「脳死」・臓器移植を問う市民れんぞく講座からお送りします。
低レベル医療の結果としての移植増加
命を金儲けの道具としたアメリカ
日本医事新報 bS092(2002年)の「米国の営利医療組織の現状と問題点」で、秀明大の廣瀬 輝夫教授は、
「アメリカの人工透析センターは早くから営利企業が参入、現在では70%近くが営利で運営されており、人工透析装置の再利用や透析時間の短縮、コメディカルの透析士を中心とした治療が行われている。このためその臨床成績は年々悪化し、わが国の人工透析の生存率よりはるかに劣っている。また、メディケアの医療費抑制政策のため、支払い制限が頻繁に行われたことも成績低下の要因となっている。利潤を上げるために極端な制限医療と支払い制限を行っている。営利HMOは、非営利のHMOより予防接種受診率やガン検診受診率は16%前後低く、心筋梗塞に対するβブロッカーの使用や糖尿病患者に対しての低血糖剤および眼底検査による網膜病変の検査も10%以上低い」
とレポートされています。
AAKP(米国腎臓病患者協会)によると、米国内の透析患者死亡率は約23%、それに対して欧州では死亡率が約15%(JAMA日本語版 2002年7月号)、日本は透析医学会が集計していますが約9%台で推移しています。
米国のように、糖尿病患者に必要な投薬・検査の制限を行うならば、人工透析が必要な容態まで悪化する患者が増えます。
人工透析センターで日本の2倍以上もの死亡率にさらされるならば、腎臓移植を希望する患者も増えるのは当然でしょう。
米国は、人工透析や臓器移植などの高額医療を受けざるをえない患者を、故意に増やして利益を貪ぼる社会になっているようです。
■ 脳波アリ患者からも臓器摘出するイギリスの低医療
イギリスは脳死判定に脳幹死を採用しています。
約3割は脳波のある人から臓器を摘出する国です。
医療は税金で保障しているため、ホームレスや外国人でも安心できるという点は見習うべきですが、予算が増額されないから医療水準は低く、金持ちは自費で診療を受けています。
現状を改善していくために、1991年にPatient Charter 患者憲章が制定されました。
「かかりつけの一般医から紹介された患者の90%が、専門医にかかれるのを13週間以内、また手術待ち18ヶ月以内とする」のが目標だそうです。
待たされる期間がいくらなんでも一ケタ違うんじゃないか、と思うんですが、実際に英国在住の日本人が「扁桃腺で専門医で診察を受けることができたのが5ヵ月後、第2回目の診察はその3ヵ月後、手術予定はその4ヵ月後だった」と報告しています。
風邪シーズンになると、かかりつけの一般医にかかるのにも2日待ちと聞きます。
「脳死」・臓器移植を行なう一方で、国民全体に対する医療水準は、こんなに低いのです。
我々は、このようないびつな医療を目指すのでしょうか。
■ 臓器移植法を形骸化し、統一献体法を先取りする
ドナーアクションプログラム、院内コーディネーター
ここで、話題は臓器調達事情に移ります。
静岡県腎臓バンクは平成14年度事業計画書に、死後の腎臓提供者の募集及び登録に関する事業の細目として「腎提供登録者の申し込みを受け付け、登録台帳を保存し、医療施設・コーディネーターからの登録検索依頼に備える」と明記しています。
万一、この登録者が入院すると、「脳死」状態と診断される以前から臓器提供意思を家族に聞かなくても、検索して「臓器提供をもちかけやすい患者か、救命治療に手を抜ける患者か、脳死を促進する臓器保存処置を勝手に開始しても問題にされにくい患者家族か」が自動的にわかる仕組みです。
静岡県下では入院時に、なかには外来でも問診表にドナーカード所持の有無を答えさせる病院が増えているぞうです。
臓器の摘出候補になりそうな患者がいたら、院内で問診表と照合することでもチェックできるはずですが、わざわざ静岡県腎臓バンクで「登録検索依頼に備える」ということは、担当医師らが問診表をみるまでもなく、勝手にコンピューター上で、すべての重症患者を対象に検索できるようにしている、ということでしょうか。
法的脳死判定マニュアルは、臨床的脳死判断の後にドナーの臓器提供意思を確認し、その後、家族に臓器提供の機会があることを説明し、臓器移植コーディネーターによる説明を受けることができることを説明する手順にしています。
ところが、この「ドナーアクションプログラム、院内(臓器移植)コーディネーター、問診表による臓器提供意思確認、ドナー情報の登録検索」は、臓器移植法下の手続を無視することでしか行なえません。
米国で臓器提供意思の確認を義務付けた統一献体法を、彼らは先取りしているのです。
臓器移植コーディネーターと厚生労働省も、臓器移植法に抵触する臓器獲得をしていると見なさざるを得ません。
■ 移植医だから持たないドナーカード
医療関係者のほうが医療不信
日本大学医学部附属板橋病院内科で、日大の医学倫理教育関係者が研修医9名にアンケートしたところ、ドナーカードを所持していたのは1名だけ、3名は「今後も持たない」と明言しました。
私が移植医と話す機会があった時に、先方から自発的に「私はドナーカードは持っていません。救命治療の経過に不安があるから、家族にもドナーカードは持たせないようにしています」と話されたのには言葉もないほど呆れましたが、その後、考え直してメールを送りました。
「移植医と言ってもほとんどは外科医あるいは内科医ですから、移植を受けてしまった方、あるいは移植が必要とされる患者の病気を軽減するために、また移植以外の治療法を研究されるためにも、病態を研究するために移植に関わり続けられることは当然です。しかし、ご自身がドナーカードを持たず、ご家族にも持たないように言うほど移植医療に不信感を持っているのならば、積極的に移植医療に関与するのはお止めください。一般企業なら、いかがわしい手段で調達された資源を前提にして、事業を計画したりはしません。医療でも同じことです」と。
ドナー不足こそが移植医療に不可欠な仕組み
移植以外の治療法=移植回避法についても、触れておく必要があります。
対象臓器が多く原因となる疾患も様々なので、専門家ではない私が調べることが難しいため心臓でお話します。
心臓の容積を小さくして症状を改善する方法として、外科的に心臓の筋肉を切除する方法もあれば物理的に縛って同じ効果を求める方法もあります。
自分の骨格筋を移植して心筋をサポートする方法もあります。
内科的手段としてはミルノリンなど薬品開発も進められています。
これらは心臓移植が必要になりそうな患者を、それぞれ数%づつ減らす効果があります。
なかには心臓移植よりも手術中の死亡率が高かったり長期生存率が劣る外科手術もあり、最も重症な患者には適応できないなどの限界はあります。
移植回避法として、移植待機患者を減らすことに最も効果的なのは人工臓器のようです。
3ヶ月〜6ヶ月以上の人工心臓使用で移植が不要になる患者は、世界中の症例の約10%弱となっています。
国立循環器病センターの北村 惣一郎氏は「循環制御」第23巻第2号で、「近未来には(人工心臓)補助中の患者への心筋細胞移植や遺伝子治療が行われるであろう。人工心臓による機能改善の可能性を早期に予測する方法、人工心臓からの離脱を判断する確実な方法の開発。そのためには、何が心筋や間質に生じて機能が回復するのかメカニズムの解明が必要である。6ヶ月以上3〜4年にわたり、脳栓塞、脳出血や感染症の合併の少ない、日本人の体格にマッチした埋め込み型人工心臓の開発が緊繋の課題]としています。
臓器移植は重大な拒絶反応を起こさないように、臓器の適合性を合わせることが不可欠で、多数の候補者のなかからからレシピエントを選びます。
このため、もともと潜在ドナー数を大幅に上回る移植待機患者が登録されるように、レシピエント選択基準が設定されています。
ドナー不足こそが、移植医療に不可欠の仕組みなのです。
ドナー不足、ドナー不足と喧伝していますが、ドナー不足が解消されることは永久にありません。
そんな仕組みで移植医療を行なっているのに、「移植しか助かる方法はありません」と言うことは、安易な死亡宣告に等しい。
移植医と言う前に医師である筈の人々は、患者を救命するに臓器移植以外の治療法開発を行なうのは当然の義務です。
組織移植に代わる手段としても、自己組織を培養するティッシュエンジニアリング技術が登場、東京女子医大の日比野氏が昨年、肺動脈の再建例を発表しています。
■ 「脳死」議論を解決に近づけるためには
1990年の第3回脳死・脳蘇生研究会で大阪府立病院救急診療科の桂田 菊嗣氏が、有益なことを発言されていますので紹介します。
「Pallis以来、脳幹死の用語や概念が脳死を説明しやすいという意見があるが、実は脳幹死の判定のほうが困難である。例えば呼吸停止ほど非可逆性があいまいなものはない。我々は、重篤な脳障害の種々の状態をあらわすとき、用語にいま少し慎重になると同時に、現症を客観的に把握して、そのままの言葉で表現するほうがいいのではないか。死の文字の入った脳死という用語自体にも、今になって疑問が持たれたりする。脳死議論が臨床診断学に終始していて、脳死の脳に何が起こっているのか十分究明されないかぎり、このような疑問は続くであろう」と話されました。
つまり
「脳死」を判定するのは困難だから、「脳死」判定はできない。
患者家族への説明に際して、脳死という言葉は使わずに現在の症状をありのままに説明して、理解を求める努力は医師は行なうべきだ。
「脳死」体の脳の解剖、病理学的検討を救命治療を進歩させる目的も兼ねて進めないと、「脳死」議論は有益でない。
と言われたのだろうと私は理解します。
世界中で極めて多数の「脳死」判定、臓器摘出が行なわれています。
その一部で、脳の解剖に協力をお願いし検討すれば、短期間に有益な情報が集まるでしょう。
そのような取り組みがなされるべき、と私は考えます。
医学的な死の定義、死の定義にもとづく脳死の定義、そして脳死の定義にもとづき脳死判定基準を検討する必要があります。
私は脳死は発生しているが、現在の技術では正確に測定できないために括弧付きの「脳死」と書きます。
技術上の限界から、実際には脳死は判定できない。
従って現実的には、「1時間余りの心停止の後も視床下部神経細胞が生きていた」ならば、古来からの直感的な死の定義「動かなくなり、冷たくなった」を採用すべきことになります。
臓器や組織の摘出も、この段階以降で検討していいのではないか。
実質的に、ほとんどの臓器・組織は、摘出しても移植に適さない状態になりますが。
神経内科医の古川さんが「高次の中枢が障害されれば、下位の中枢が働く。脊髄にも中枢がある」と仮説を提示されていることを尊重するならば、古来の葬儀、今も一部の地域や皇族の葬儀で行なわれているように、臓器・組織摘出までさらに数日間待つべきであり、移植医療は廃止すべきかもしれない。
「死とは、視床下部と体内臓器系の連携が絶たれた時である」の定義どおりの死直後に臓器提供するか、しないか、選択できるようにすべきでしょう。7/3/14 5/8

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