臓器移植を問う市民れんぞく講座からお送りするシリーズの最後になります。
この臓器移植と脳死の問題、医療という切り口から見えてくる今日の社会の有りよう、「脳死」とされたドナーは我々と無縁の存在ではありません。
以下に篠原 睦治氏(和光大学・人間関係学部教授)の論を紹介します。
「死ぬ権利、死なす権利、死ぬ義務」を考える
脳死者が死んでいることを誰も自信が無い
なんで生きている人間から臓器摘出が、倫理化、合法化されるのか。
臓器移植法は、本人が「臓器摘出していい」と明確な意思表示をしている場合に限ってだけ、臓器摘出を合法化する。
脳死者が死んでいることを誰も自信が無いことを、ドナーカードを媒介にして、それを儀式にして死体にせざるをえなかった。
『「脳死」者は生きているんだけれども、もはや生きているに値しない。
そのことが「脳死」であるから臓器を摘出してもよい』とされた。本人がそのような状態になった時に、臓器提供意思をあらかじめ表明していれば、臓器摘出が合法化、倫理化された。
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自己決定権が優生思想を肯定
人権思想の中心は自己決定権である、という主張があるが、能力とか権利を強調していく思想のなかで、まさに優生思想が肯定されてきている。
自己に完結して自分で自分のことができるとか、その権利、能力があるという物の言い方、感じ方は問い直され続けるべきです。
優生思想を問い、意思を文字、言葉で表現できる者もできない者も、共々に生きる観点から、生の自己決定権であれ死の自己決定権にしろ私は懐疑的であり否定的です。
いずれにしてもアメリカの取材ではっきりしたことは、死の自己決定権は、決してQOL(quality of life=生命の価値)が高いところでは認められていません。
ここがポイントですが、誰でも自殺する権利があるとは認めていない。
QOLが低いところに関してのみ、制限されたところで死ぬ権利を順番に認めていく組み合わせになっている。
死ぬ権利が一人歩きしている。
QOLを前提に強調していくと、患者は「死ぬ義務」を実行させられる
死ぬ権利は、カレン・クィンラン事件(遷延性植物状態の患者、1976年ニュージャージー州最高裁は、人工呼吸器停止を認めた)で出てきた。
ナンシー・ベス・クルーザン事件(1990年連邦最高裁判決)でも、代理判断、推定判断で「こんな状態では生きていたくないだろう」、と現在の本人の意思を判断した。
意思表示ができない知的障害者の弟から、腎臓病の兄への生体腎臓摘出でも、推定判断で行なわれた。
アメリカで国家によって強要される優生思想に替わって登場したのがQOLであり、QOLが実行される時には本人の「自己決定」という筋道をたどった。
代理判断、推定判断で親に託された社会の判断=クィンランの判決文のなかに、介護の重荷や高額医療費支出を避けるなどのため「良識ある国民の意見でもあるだろう」=で両親は「死なす権利」を行使し、患者は「死ぬ義務」を実行させられてゆく。
QOLを前提にして生きることを強調していくと、こんな話になる。
リビングウィル「死の自己決定権」論は「死の義務権」論の偽装
1997年に生命倫理学者ハードウィッグは、人々の「家族の愛、紐帯」ゆえに高額医療費支出を避けるため「死ぬ義務」があるとしたが、「家族の愛・・・」と言いながら家族個々人の持っている立場、能力、私有財産、社会貢献度などを比較考量させる。
逃避的な決断としての死を考える。「死ぬ義務」論は「死の自己決定論」の亜型であり、リビングウィル「死の自己決定権」論は「死の義務権」論の偽装である。
生命倫理学者は、生産至上主義社会を前提にしたイデオローグ
ハードウィッグは「無能な人々に死ぬ義務は無い」という。彼は、そのような人々が本来どこで生きるべきかという問題を立てる時に、彼のイメージの中に「障害者用、高齢者用の施設が十分にある」ということが大前提にある。
しかし行政は金を使わない、とすれば最後は死ぬ義務を実行することか、隔離収容施設に入るかのどちらかになる。
彼は「邪魔者」排除の社会構造を前提にして、そこを問い直すことをしないで、家族内の問題として処理し、家族外の状況を隠蔽していくことに加担し、あるいは積極的に進めてゆく。
その点で、生命倫理学者というのは個人の生き方を強調していますが、実に社会功利的な生産至上主義的な社会の在り方を前提にしたイデオローグとして、一つの大きな役割を果たしている、と思います。
「脳死」は「邪魔者」排除社会の産物
結論は、死ぬ権利も死ぬ義務も、同じ穴のムジナということであります。
家族の紐帯とか愛情という言い方は、あたかも共生、共に生きるという言い方になっていますけれども、結局のところ相手がいることによって幸せなのか否かという個々人の幸福像に話が入っていきます。
そこは「若い人が活き活きと働く、活き活きと勉強する、老人に煩わされないで爽やかに生きる」という格好で幸福のイメージが描かれています。
健常者中心の、あるいは若者中心の、あるいは生産効率中心の社会のなかで、創り出されてきたコンセプトであり主張であり、実践であると言わざるをえない。
そういう構造があるからこそ、「脳死」臓器移植に反対する姿勢を、重ねて宣言したいと思います。
「脳死」・臓器移植に反対する市民会議 代表 篠原 睦治(和光大学・人間関係学部教授)「脳死」・臓器移植を問う市民れんぞく講座 2002年7月14日より
さらに厚生省の意図する「法見直し」は非道だ とする鶴田博之氏の論を掲載します。
表記のような論題で(2000/7/29の講座時に)お話しさせていただきました。
2000年秋に予定されていた「臓器移植法見直し」について、厚生省の委託による法学者・町野朔の「見直し案」を紹介、批判しながら、「脳死・臓器移植」について改めて私なりに考え、その視点から危惧される状況を確認することが目的でした。
あれから時も経ち(2000/11/18)、全く同じことを繰り返すのも無意味なので、ここでは、新たな雑感も交えて記させていただくことにします。
厚生省の意図する「法見直し」は非道だ
町野教授の見解は、2000年8月に「最終報告」が出ており、これを読むと、厚生省の意図する「法見直し」の非道さがよくわかります。
分析すれば、@手続きの非道さ、A内容の非道さ、B論理の非道さ、です。
まず、@手続きの非道さというのは、「見直し」がこの間の「脳死臓器移植」の実施例を全く考慮していない、ということです。
報告書は、「小児臓器移植の実現」を大前提の目的に掲げ、そのための現行法の不備を説いています。
しかも、この「検討」が「旧中山案」に含意されていたことを引き合いに出して、法の見直しの方向が法の成立当初から定められていた旨を強調しています。
現「臓器移植法」の「見直し」というのは、「この法律の施行の状況を勘案し、その全般について検討が加えられ、・・・」と附則(第2条第1項)にあるように、実施に当たって生じた現実の問題点を検討するのが本来の筋だったはずですが、今回企図されている「見直し」は実施状況の如何に全く関わりなく、始めから、ただただ移植推進のためになされようとするものなのです。
次にA内容の非道さです。町野案が小児からの臓器摘出の合法化を目的としていることは上記の通りで、よく知られてもいます。
その眼目は、
1.「脳死判定」には本人の意思表示も家族の同意も不要とする。
2.「脳死」を一律に死と定める(現「脳死した者の身体」を「脳死体」と改め、それを「死体」であると明言する)。
3.本人の意思が不明の場合や小児については、家族の同意だけで臓器摘出を可とする。
・・・といったものですが、さらに、先々には「臓器一般、さらには組織まで含めた立法にすべきではないか」、「(臓器・組織の)あっせんの営利性をすべて否定すべきか」等々を議論すべきだとも述べています。
圧巻なのは、その「法改定」を正当化しようとする論理の非道さ(B)です。
町野によれば、3.を正当化するのは「子どもの場合だけ家族の同意のみで臓器摘出を認めるのは差別だから」という理屈であり、それが現行法の核である「自己決定権」と抵触しないのは、人はすべて「死後の臓器提供へと自己決定している存在」だから、というのです。
まともな法学者の報告とは思えない無茶苦茶な論理ですが、笑ってばかりはいられません。
町野報告書が示しているのは、論理も手続きも無視してごり押ししなくては一歩も前に進めない移植医療の無理・不自然な本質であり、(「直ちに厚生省の指針となるものではない」とはいいながら)仮にも公式な「最終報告」が出た以上、政府はこの方向でのごり押しを図るしかないからです。
刑事処分年齢引き下げを中心とする「少年法」改定が推し進められようとしている今、とりあえず臓器提供意思表示可能の年齢を引き下げる妥協案ぐらいは通ってしまうかもしれません。危惧すべき事態です。
「脳死」 における差と差別
[脳という人体の臓器の、ただ一部だけが障害ざれている人を殺して良いのか。]
ぜひ全文をご一読下さい。
脳死関連年譜
1959 フランスで「死の昏睡」として世界初の脳死報告
63 米国のスターツル医師が世界初の肝臓移植
67 南アフリカのバーナード医師が世界初の心臓移植
68 札幌医大で日本初の心臓移植(83日目に死亡)
71 フィンランドで世界初の脳死立法化
74 アメリカで世界初の脳死判定基準作成
日本脳波学会が日本初の脳死判定基準を作成
79 日本で「角膜及び腎臓の移植に関する法律」可決成立
イギリスで脳死判定新基準(脳幹死)作成
81 アメリカで「死の判定ガイドライン」決定
85.12 厚生省研究班による6項目の脳死判定基準(竹内基準)
88 日本医師会生命倫理委が最終報告で脳死容認
89.11 島根医大で、1歳男児に国内初の生体部分肝移植
90. 3 脳死臨調(永井道雄会長)が実質審議開始
92. 1 脳死臨調の最終答申で「脳死は人の死」
3 厚生省が関係医学団体に脳死移植基準作成を要請
5 生命議連が臓器移植法案の国会提出を断念
7 中医協が生体肝移植に保険適用を認める
12 「脳死及び臓器移植に関する各党協議会」(各党協)発足
93. 3 日弁連が臓器移植法案は時期尚早との意見書
5 臓器移植法案の骨子となる野呂素案
6 衆院解散。臓器移植法案の国会提出をまたも見送り
12 各党協が臓器移植の法案要綱案を公表
94. 1 厚生省、脳死体の臓器摘出手続きの指針骨子案
4 臓器移植法案が与野党15議員により国会提出される
6 日本移植学会が「脳死移植を行う用意がある」と声明
7 国会閉会。臓器移植法案は審議見送り
12 衆院本会議で臓器移植法案の趣旨説明と質疑
95. 6 衆院厚生委で参考人意見聴取
11 国会閉会に伴い、継続審議に
96. 6 生命議連が臓器移植法案の修正案を国会提出
9 衆院解散。臓器移植法案は審議未了・廃案となる
12 中山議員ら14議員が中山案を衆院に提出
97. 6 中山案の一部修正案が国会で可決成立
10 「臓器の移植に関する法律」(臓器移植法)施行
10 公平な臓器分配のため日本臓器移植ネットワーク発足
98.10 厚生省が脳死からの臓器提供施設を300以上に拡大
99. 2 臓器移植法施行後、初の脳死移植
8 厚生省、提供家族が拒否する場合の情報非開示を決める
9 厚生省が「法的脳死判定マニュアル」を新たに公表
2000.8 厚生省研究班、小児脳死臓器移植を認める最終報告書
2001.7 臓器提供者の生前の意思により、親族への優先的な脳死臓器移植が行われ、議論に
2002.4 河野太郎衆議院議員が父親の河野洋平元外相(現衆議院議長)に生体肝移植、以後、遺族の意思のみで臓器提供を可能にする臓器移植法改正を主張
2003.6 日本小児科学会が小児脳死移植を容認
6/7/8

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