「「真摯な反省と検証がなければ、同じ間違いを繰り返す…《爪で拾って箕で零す》筆洗:竹田昌弘氏」
検察・司法・検察審査会
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東電女性社員殺害事件。
「真摯な反省と検証がなければ、同じ間違いを繰り返す…《爪で拾って箕で零す》。
苦労して蓄えた物を一度に浪費する例え…不利な証拠を隠す検察の姿勢に裁判所も不信を強め…先人が築いた信用は、砂上の楼閣になっている」
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「検察も裁判所も過ちを検証せねばならない。
真犯人の追及にも本腰で取り組むべきだ…司法が『暗黒』と呼ばれないためには、他にも冤罪が潜んでいないか、早急にチェックすることだ…正義に奉仕すべき司法の倫理さえ問われている」
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まさに倫理の問題…
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筆洗
2012年10月30日
爪は健康のバロメーターといわれる。薄いピンク色なら安心だ。若い女性の間ではネイルアートが人気だが、爪には本来指先を保護する重要な役目がある。抜いてしまうと、痛みが消えても指先に力が入らず、物をうまくつかめないという▼命の炎が消える間際の最後の抵抗だったのだろうか。想像すると胸が痛む。手の爪先に残されたわずかな残留物が、異国で捕らわれの身になった男性の無罪を決定付ける証拠になった▼一九九七年の東京電力女性社員殺害事件で、無期懲役が確定していたネパール国籍のゴビンダ・プラサド・マイナリさんの再審は、検察側が無罪主張をする異例の展開となり、即日結審した▼これまで弁護側は再三、女性の爪のDNA型鑑定を求めていた。「何も付着していない」などと無視を決め込んだ検察は、再審無罪が濃厚になってから逆転を狙って鑑定に踏み切った。結果は、自らの首を絞めただけだった▼この期に及んでも、当時の捜査に反省するところはない、と言い切る元警察幹部がいることに驚く。真摯(しんし)な反省と検証がなければ、同じ間違いを繰り返すだけだ▼《爪で拾って箕(み)で零(こぼ)す》。苦労して蓄えた物を一度に浪費する例えだ。再審無罪が相次ぎ、不利な証拠を隠す検察の姿勢に裁判所も不信を強めている。先人が築いた信用は、砂上の楼閣になっていることを自覚すべきだろう。
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東電女性再審 “暗黒司法”そのものだ
2012年10月30日
東京電力の女性社員殺害事件で、無罪となるネパール人男性の再審公判は、司法界の“暗黒”を物語る。検察も裁判所も過ちを検証せねばならない。真犯人の追及にも本腰で取り組むべきだ。
再審の公判で「無罪」と主張したのは、検察側だ。弁護側はずっと無実を訴えてきた。これで結審し、ネパール人男性の無罪は確実だが、もっと早く冤罪(えんざい)から救済できなかったか悔やまれる。
昨年夏に被害者の体内から採取された精液のDNA型鑑定の結果が出た。男性とは別人の「X」のもので、しかも殺害現場にあった体毛の型と一致していた。この時点でも、検察は“撤退”が可能だったはずだ。ところが、今年六月に再審開始決定が出ても、検察側は異議を申し立てていた。
検察が白旗を揚げる決め手になったのは、女性の爪に残っていた付着物をDNA型鑑定したところ、やはり「X」のものだったことだ。被害者と最後に接触したのは「X」である可能性が濃厚になった。爪の付着物は、被害者の激しい抵抗の痕跡かもしれない。
だが、弁護側が爪に着目して、鑑定書を求めたのは二〇〇七年である。検察は裁判所に促されても、「鑑定書はない」「爪からは何も検出されていない」などと、虚偽に近い不誠実な姿勢だった。最後まで有罪にこだわり続けた検察の態度は非難に値する。
有罪を確定させた裁判所も問題だ。一審は「無罪」だった。「別人が犯行現場の部屋を使った可能性がある」「精液の入った避妊具は、事件当日に使用したと断定できない」などと、新しい鑑定技術がなくとも、男性を犯人とすることに疑いを持ったのだ。
ところが、二審はわずか四カ月のスピード審理で「逆転有罪」となった。なぜ一審が下した“赤信号”を素通りし、最高裁まで追認したのか。さまざまな証拠が「X」が真犯人だと指し示しているような現在、裁判所はどのような弁解をするのだろうか。
当初からネパール人男性を犯人だと決めつけた捜査に問題があるのは間違いない。重要物証をDNA型鑑定しなかったのも致命的だ。被告人に有利な証拠も得られるよう、全面証拠開示の必要性も、この事件は訴えている。
司法が「暗黒」と呼ばれないためには、他にも冤罪が潜んでいないか、早急にチェックすることだ。もはや正義に奉仕すべき司法の倫理さえ問われている。

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