晴耕雨読

淡々と日々の暮らしを立てるために働き続け、木々の緑、雨音、枯れ枝に架かる雪を密かに楽しむ。
老いては老いを楽しみ、若者の成長に目を細め、良い人生だったと感謝しつつ旅立つ。
こんな当たり前の人生が許されない世にはして欲しくありません。

 

おすすめ

それぞれ属するカテゴリーに関連記事が有ります。 ============================== 日本はなぜ負債大国になったか 平和時に政府が借金を増やす理由は、富に対する課税を怠ったことに起因する。 ... .. ============================== 年金問題」の本質:“高齢化社会”が問題なのではなく“供給活動投資額”が問題 “少子高齢化社会”という人口構成の変化は、「年金問題」とはまったく無関係なのである。 ... .. ============================== 寄生性と知的謀略 寄生者は、自分たちが寄生者ではないこと、自分たちが求める取引形態は正当であること、自分たちの価値観はまともなものであることなどを宿主に認めさせよう(錯誤させよう)と努力します。 ... .. ============================== 抜け出す第一歩は「隷属の認識」 国際寄生者は、巧妙に「知的謀略」を駆使して、宿主構成員(我々)が奴隷であることや隷属していることを感じたり認識しないよう... .. ============================== 今後の世界と日本 “新世界秩序”は米国の一極支配をめざすものではない  戦後世界こそが米国の一極支配構造であり、“脱戦後世界”は、それとは違った新しい支配構造がプランされているはずです。 ... .. ============================== 米国政府の対外債務返済能力  米国政府が、個々の債務証書に書かれた内容ではなく、グロスの債務について日銀やその他の経済主体に返済することはできないと.. ..

過去ログ

RSS
この記事へのコメント一覧
※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。
投稿者
メール

 
コメント
URL
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。
投稿者:通りすがり-0
>ぷら様

正確なことはわかりませんが、メッセージの内容からはお父様は脳死ではなかった可能性が高いようです。
日本では臓器移植云々の議論の前に、脳死とは何か、人の死とは何なのかを、もっと一般に議論すべきなのではないか、痛感致しました。
投稿者:通りすがり-0
Shewmon氏の Neurology (1998;51;1538-1545)に掲載された論文には2点問題があります。
1)脳死診断の基準を明確に示していない。従って、論文の中の175例の脳死診断の根拠がはっきりしていません。
2)症例の具体的な内訳が示されていない。年齢、性別、どのような疾患により脳死判定を受けるに至ったのか等のデータを提示していません。
つまり、論文の分析データは、本当に脳死患者からのものなのかが、明確ではありません。従って、この分析データが100% 信頼に足るものか、正確な判断ができないということになります。
ビデオの例の子供は、音に反応して顔をそちらに向けるそうですので、これは脳幹より高次のレベルの脳の反応を示しています。明らかに脳死ではありません。本物だとすると、論文内の症例が誤診であると証明することになってしまいます。

Neurologyはアメリカ合衆国の神経学会American Academy of Neurology(AAN) が出版している国際的学会誌ではありますが、世界で最も権威ある雑誌とまで言うと、それはちょっと・・・。
ちなみにAANのウェブサイトは末尾が「.com 」で「.org」ではなく、これは営利団体ということになるのでしょうか。
投稿者:ぷら
私の父は「脳死」の状態になってから半年以上生き続けました。医者は「植物のように反射的に反応しているだけで意味はないですよ。」と言っていましたが、私が見舞いに行くと涙を流すようなそぶりに、「絶対に生きている」と確信していました。今回のエントリーで父の事を思い出して、ちょっと胸がつまる思いでした。

http://plasticdoll-peace.cocolog-nifty.com/blog/
投稿者:早雲
>我が子をもし亡くしたとします.
全くそうだろうとおもいます。
「脳死」は生物としての死ではないのです。「脳」に重大な疾患が有ることは確かですが、それ以上でも以下でもありません。ですが「脳死」と判定されることは、社会的な権利を全て剥奪される事にはなります。
これに、恣意が加わったりすれば...


http://sun.ap.teacup.com/souun/
我が子をもし亡くしたとします.そういう時は,死体でもいいからずっとそばに置いていたいだろうなあと私は想像するのです.ずっと以前からそのように思っています.
でも死体は冷たいし,次第に腐乱していきます.そして結局は本来の子供の姿とはかけ離れた骨だけになってしまいます.
それが『脳死』では,いつまでも暖かく,反応もかすかに確かめられるだろうし,今にもひょっこり目を覚ますかもしれない,という期待を抱かせるほどに『生き生き』しているでしょう.
そう,まさしく『生きている』のではないでしょうか.きっと私は,もし子供を亡くしたとしたら『脳死でもいいから生きていて欲しかった・・・』と思うはずです.

http://papillon99.exblog.jp

ランキング

応援ありがとうございます

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村
こちらもよろしく

最近の記事

最近のコメント

ページ・ビュー

自由項目8

teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ