ここに残したい/往年の名鉄車両にラブコール/旧美濃駅の保存会、資金調達バザー
(岐阜新聞岐阜新聞6月6日付朝刊県内版引用)
http://www.jic-gifu.or.jp/np/g_news/200506/0606.htm#3
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ここに残したい/往年の名鉄車両にラブコール/旧美濃駅の保存会、資金調達バザー
一九九九(平成十一)年に一部廃線となった旧名鉄美濃町線の美濃駅の保存活動を続ける「旧美濃駅施設充実会」(鈴木隆代表)によるバザーが五日、美濃市広岡町の同駅で行われ、全国の鉄道ファンが詰め掛けた。
同駅は、廃線直後にプラットホームと付随する線路が無償で同市に払い下げられ、かつて走った車両二台も展示されている。住民有志が管理などをしてきたが、今年三月末で同線全区間が廃止になったことなどから、より積極的に駅舎や車両の保存に取り組もうと先月、新たに賛同者八人で同会を設立した。
本年度の活動目標として一九六〇年代から走り、同線を代表する車両モ593号の同駅での受け入れを掲げた。事務局の市原英之さんは「公共交通の中心的な役割を担った車両を、実際に走った場所で残しておきたい」と語る。モ593号の受け入れには、名鉄への陳情のほか、三百万円以上の資金が必要になるという。
バザーは施設充実の資金などのためで古い時刻表や廃止されたバスの方向幕、電車の部品などが並べられ、鉄道ファンが次々に買い求めた。岐阜市の男性(33)は「車両は大切な文化遺産。商品を買うことで少しでも協力したい」と話していた。
(西山歩)
(写真)電車の行き先板など目当ての品を吟味する鉄道ファン=美濃市広岡町、旧名鉄美濃駅
《岐阜新聞6月6日付朝刊県内版》
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続いて、丸窓のモ510形 旧谷汲駅に保存を−岐阜新聞2005年5月30日朝刊より抜粋−を紹介します。
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丸窓のモ510形 旧谷汲駅に保存を 赤い電車友の会 揖斐川町へ近く要請
揖斐郡揖斐川町谷汲などの住民で作る「赤い電車友の会」は二十八日夜、本巣郡北方町内で役員会を開き、三月で廃線となった名鉄揖斐・市内線を走っていた大正時代製造のモ510形車両を揖斐川町谷汲徳積の旧谷汲駅に保存してもらうため、同町に近く保存の要請を行う事を決めた。
同会は二〇〇一(平成十三)年の名鉄谷汲線廃線に伴って行き場を失っていた「赤い電車」を旧谷汲駅に展示するため、募金活動をして車両の運搬経費を工面し、実現。現在も車両の清掃や駅の草刈りをボランティアで続けている。
モ510形は一九二六(大正一五)年製造。楕円(だえん)形の窓から「丸窓電車」として親しまれ、現在は岐阜市市ノ坪町の名鉄の車庫に二両が眠っている。一両は別の住民団体が岐阜市内の公園に保存する運動を進めている。
モ510形が谷汲線で赤い電車とペアで運行していたことから、同会は残る一両に着目、両形を並べて展示することを発案した。運搬費の数百万円を含めて、揖斐川町が主体となって保存してもらえるよう、来月中旬に要請する。
同会会長の大工横山陽一さん(三九)=谷汲徳積=は「赤い電車の管理を三年間続け、子供らに夢を与えてきた」と実績を語り、「丸窓電車は文化財としても価値がある。保存が実現すれば若い人が呼べる名所となる」と話していた。
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歴史遺産をこのような形で残すことは、ある意味「かつて」走っていた電車に触れてみたい、残したいという思いからきていることは察します。
そのような施設が発展することを期待する気持ちは同じだろうと思います。
しかし、実はもう一つすべき「本当は走らせかたった」という点の反省もしなければならないのかな?とこれらの動きの中で感じざるを得ないのもある意味仕方がないようにも思います。

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