被害者にとっても利用者にとっても非常に複雑な気持ちだろう。
ほぼ2ケ月ぶりの運転再開、ではあるが、JR職員やJR西日本の垣内社長のあの「カーブ」での敬礼・・・。考えてみれば大きな何かを失った、そのような心境ではなかろうか。
あの事故で実は多くの人々は何か変わったのだろうか?被害者のJRに対する怒りは当然にしても、かといって「もうJRに乗らん」と言い切れるのか、という複雑な思いを持ちながらこれからを生きなければならない人々を目に、その他の利用者はそのまま通り過ぎてしまっていくのか?という思いを、ふと私は感じている。
私も実は、ある事故で肉親をなくしている。また、仕事場で知り合いの人がいるが、その人も娘さんを車の事故でなくしてしまい辛い思いをして暮らしている。
しかし、私やその知り合いの人が果たして車に乗りたくない、電車に乗りたくない、とその事故をきっかけにして言うことが出来ない悲しみは実は理解出来てしまうのだ。そこが悲しい。
しかし、一方で、私もそうだが、多くの人は電車に乗り過ごしてしまうと、「もっと多くの列車を運転しないか!」「もっと速く運転させろ!」などと言った不満が出てくる。しかし、皮肉なことに、今回の事故はそのような利用者のダイアに対する果てしない欲求から事故を招いてしまったことは間違いないだろう。
少なくとも言えることは、もう元には戻らない、と言うことだけだ。
実は、JR側だけに求めるだけではなく、利用者や沿線住民自身も考えなければならない問題なではないか。
ついでに、岐阜の問題でもそれは言えることだ、とだけ付け加えておく。

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