この件は何ともならんと言うか・・・・・・。
公私混同が罷り通っていた??
本日はいろいろ忙しいので、とりあえず、新聞記載のみ紹介。後日関連記事の紹介を(連日の残業のためですが・・・・・・申し訳ございません)。
岐阜県裏金 「梶原前知事も了解」(8/8読売新聞)
本人は否定 森元元副知事がコメント
岐阜県の裏金問題に絡み、当時副知事として裏金を職員組合にプールするよう指示したとされる森元恒雄参院議員が7日夜、一連の事情について、梶原拓・前知事が了解していたとするコメントを読売新聞社など報道機関に寄せた。コメントには「県庁全体が混乱するため、推移を見守ることを了解してもらった」との趣旨を明記している。梶原前知事は、「裏金について全く知らず、了解するはずもない」と、これまでの主張通り、関与を全面的に否定している。
コメントは、A4判の用紙2枚に印刷され、読売新聞社には、秘書を通じ、東京の事務所からファクス送信された。肩書は参議院議員と記載されている。
それによると、森元・元副知事は、組織ぐるみで工面した裏金を職員組合にプールし始めた1998年度当時について、「知事自身、在任期間が長く、知事を含む幹部職員が裏金作りや、その存在を知らなかったとは客観的に言えない」と振り返り、「実態を公表すれば、知事への批判、職員の動揺、相互不信、責任のなすり合いなどが生じ、県庁全体が混乱し、職員の士気も著しく低下させることが懸念された」としている。その上で、「しばらく推移を見守ることは、知事の了解もいただいていた」と、梶原前知事の関与を指摘している。
梶原前知事は7日夜、読売新聞の取材に対し、「全く覚えのないことだ」と、関与を全面的に否定した。梶原前知事はきょう8日午前、県庁で記者会見する。
で、会見後
岐阜・梶原前知事、裏金認識 組合移管関与は否定(中日新聞8/8)
岐阜県庁の裏金問題で、梶原拓前知事は8日、県庁で記者会見し、1989年の知事就任時に裏金が存在していたとの認識があったと初めて認めた。しかし、県職員組合管理口座への移し替えについての関与は否定した。今回の問題を「やましいことは一切していない」と述べる一方、「痛恨の極みだ。トップとして全責任を負う」と語り、今後、県への返還措置が出てきた場合などには協力する意向を示した。
今回の問題で、梶原氏が会見するのは初めて。
梶原氏は、県庁での裏金づくりについて「89年の知事就任当時は、国や自治体を通じた半ば公然の秘密だった。それだけにその改革に取り組んだ」と説明。その後も「どこにどのような裏金があったかは承知していないが、例外として潜在的に裏金が残っているのではないかという気持ちはあった」と語り、裏金問題が完全に解消されたとは認識していなかったとした。
94年度当時、約4億6600万円に上る裏金の存在や、組合管理口座への移管は「関知していない」と否定。当時の副知事、森元恒雄氏(現参院議員)が、裏金に関する調査をしないと判断したことについて「梶原氏も了解していた」と7日にコメントしたことについても「当時、森元氏も裏金の存在を知らない段階でのことで(裏金の存在を)了承したことはあり得ない」と語った。
今後は「裏金が使われてしまった分もある。県職員や(当時の)在職者の責任で負っていくのは当然。率先して対応する」とし、返還措置には全面的に協力するとした。
県調査チームによると、94年度当時、県全体で多額の裏金づくりが行われ、森元氏が裏金処理を指示し、県幹部らが相談し99年1月以降、組合管理の口座への移し替えが始まったとされる。裏金の一部は使われたり、焼かれたりしたことが分かっている。
梶原氏は、建設省都市局長、岐阜県副知事などを経て89年1月の知事選で初当選。その後、4期16年、知事を務め、2005年2月に知事を退任した。
確か、この人は85〜89年も副知事に就任していた記憶が・・・・・・。
そのことについて記者の突っ込みはあったのかなかったのか?
ともかく、今後が気になります。

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