キャッツアイや
シティーハンターもびっくり?じゃないか・・・・・・。
北条司が描いた秀吉も見たい(ぉ)。
冴羽 ?(りょう)のように・・・・・・(以下略→
こんなときばかりじゃないからな・・・・・・)。
はさておき・・・・・・。
今回は1)副田甚兵衛針売り姿で千代と対面→2)千代、手紙を渡すが副田、本人ではないと言い張りその場を去る→3)一豊、千代に副田の事を忘れろ、と→4)千代、敢えて、副田を「副田を知る針売り」と称して旭に会わせる→5)旭が亡くなった事を知った副田が「あさひ!」と叫ぶ までが前半。
6)一豊、北条攻め準備→7)井伊、酒井、家康に北条と結ぶよう説得するが家康は拒否→8)三成、諸大名に人質をおくるよう秀吉に提案→9)家康、幼い秀忠を差し出すが、秀吉、戻した上、家康に北条攻めの先陣を切るよう命じる→10)秀吉、沼津の陣に→11)
家康の部活家康・信雄、北条に内通の噂→12)信雄、家康に寝返るよう説得するが、秀吉が突然の来訪。ともに酒を酌み交わす事で謀反が断ち消え→13)一豊、山中城を秀次軍として攻撃に参加、岩倉城の事を思い出す→14)秀吉、三成と一豊に城と城下町をつくるよう命じる→15)秀吉、家康に関八州を与える、と→16)井伊、家康に秀吉が斬れなかった事を無念があるが・・・・・・→17)
北政所、千代に対して小田原に呼ばれなかった事を悔しがる→18)
茶々改め、淀殿、小田原へ→19)
淀、三成をほめるついでに尾張ものを・・・・・・。→20)論功行賞→
21)一豊、千代に論功行賞を報告→22)鶴松が・・・・・・。が後半。
といった流れだが・・・・・・(敢えて番号ふりました)。
21)→22)の流れが早すぎ!!!!
少し感じました。というか、全体的に少し細か過ぎというか雑のように・・・・・・。仕方ないかな??
ということで、その他雑感を。
7)の高田”本多忠勝”伸彦の
「どうなさいますか!!」って・・・・・・。西田”徳川家康”敏行もびっくり・・・・・・。12)でも、信雄の目の前で・・・・・・存在感あり過ぎ。
3)→4)のながれ、千代の憎い演出ですが、副田も本人と名乗れなかったのに・・・・・・うらはらでしょうか?
7)11)12)15)16)西田”徳川家康”敏行流の家康が発揮されたというか、家康の「鳴くまでまとうホトトギス」を物語る姿の両面が見られたかと思います、演出も「憎いの〜、にくい、憎い」。関八州を与えて、東海五カ国召し上げとは、秀吉も・・・・・・。家康、あのしょんべん、ワザとじゃないでしょうね?と思うぐらいコミカル。信雄、家康などを動かしても果たして・・・・・・てところでしょうか。
8)と11)12)20)〜22)がつながりがありそうなのに、なぜか飛ばしている部分が・・・・・・。
利休切腹・・・・・・三成の「茶で政を決める時代は終わった」という台詞はあった、秀吉、「利休の前でぬけぬけと・・・・・・」
信雄所領の尾張伊勢召し上げ(※家康の旧所領の拝領を拒否したため)・・・・・・秀次の尾張伊勢拝領はあった。池田輝政の吉田拝領が先??
秀長死亡・・・・・・8)の時にはいた。三成の人質差し出し案に反対。
17)先週に引き続き・・・・・・。更に女の戦いが・・・・・・。
19)千代をヨイショしたが、女中は・・・・・・。
淀殿もやや引き気味??
まだまだある事にはあるのですが、結論としてはコミカルな部分が全体的なスピードのアンバランスを打ち消した感じのストーリーでした。
一豊、内心は「孫平次、駿河の国持ちかよ!」
あらすじ(
公式HPより)
第35回「北条攻め」9月3日放送
京の町で千代(仲間由紀恵)はある人物に出会う。秀吉(柄本明)の政略上、旭(松本明子)を家康(西田敏行)に嫁がせるために離縁させられた副田甚兵衛(野口五郎)である。針商人に身をやつした甚兵衛は、千代に話しかけられても正体を明かそうとはしない。
その頃、旭は聚楽第で寧々(浅野ゆう子)、大政所(菅井きん)らに囲まれ死の床にあった。そこへ現れた千代は甚兵衛から旭への文を預かった商人だと偽り、甚兵衛を旭に面会させる。甚兵衛本人として旭の前に出入りすることは許されまいと考えた千代の知恵だった。『いかなることがあろうとも、わしらは夫婦じゃ……』甚兵衛は旭に最後の言葉を残す。旭はほどなく没した。秀吉の天下取りの総仕上げ、小田原の北条攻めへと、一豊(上川隆也)たちは秀次(成宮寛貴)軍に属し出立。一豊は弟・康豊(玉木宏)と功を競うように奮戦、北条方の支城を落とす。秀吉は自ら淀(永作博美)を呼び、諸侯にも京大坂の妻妾たちを呼び寄せさせ、小田原城に対し兵糧攻めを開始。この間、家康謀反の噂が陣中にとぶが、秀吉は家康を篭絡、やがて小田原城開城。秀吉は家康の東海五国を召し上げ、代わりに北条から没収した関八州・二百四十万石の領地をすべて与える。そして一豊に遠州掛川五万石、堀尾(生瀬勝久)・中村(田村淳)らにも東海諸国を与え、関東の家康への押さえとして配するのだった。
↑下線のとこ、そんな事言ったっけ・・・・・・。

0