衰退する地域に活路となるか道の駅 その2  震災後のまちづくり NPO光と風
  震災から5年目 あさひの観光を担う道の駅季楽里・いいおか潮騒ホテル・旧飯岡中の現在
 平成27年7月いいおか潮騒ホテルの開業・10月道の駅季楽里の開設・12月飯岡中の移転など震災5年目を迎える中で被災した飯岡地区は無言の中で転機にある。この現状から将来を考える機会として復興まちづくりコンペを振り返ってみる。
 平成24年7月、個人・団体から応募、現地説明会を経て11月に39点の応募が寄せられた。その中から16作品が第1次選考になり平成25年1月19日公開コンペを開催、3月に表彰式となった。
 その中から道の駅・旧いいおか荘・飯岡中の応募作品を取り上げ現在を検証してみる。

その1「いいおかからの希望の矢」
NHKアートチーム(代表 茂野純司)による作品
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データでは無くコピーのため見づらいがこの提案は四つの希望の矢でコンセプトを示している。
◎一の矢 歴史・文化・資源の掘り起こし
◎二の矢 交流と活動の仕組みづくり
◎三の矢 観光と地域のまちづくり
◎四の矢 防災・減災のしくみづくり
 まちづくりのゾーンを A 飯岡灯台ゾーン B みなと公園・漁港ゾーン C 飯岡荘・飯岡中ゾーンになっている。
 今回のテーマに沿ってCゾーンは●「道の駅”旭いいおか」●「飯岡中学校」 ●「コンテナプロジェクト」この三つのネットワークの情報発信をe-oka syationとする。
 今から考えると最も現実的で興味深い提案となっている。
 例えば「道の駅”旭いいおか”」では移転後の中学校跡地を活かし地域の憩いの場となるように避難丘と一体の道の駅、そして日帰り温泉施設、屋外プールの整備、ここに歴史民族資料館を吸収・リニューアルする。
 飯岡中学校は卒業生の思いが詰まった校舎で校舎の一部を耐震補強し「学校に泊まれる」をテーマに温泉を併設した宿泊施設とする、など道の駅構想は飯岡中の跡地と一体的な整備によって観光誘致による経済の活性化を目指している。
この構想は学校の雰囲気を残しリノベーションして直売所・交流施設を担う「道の駅 保田小学校」のプロジェクトとほぼ重なっている。

◎2月6日、NPO光と風が事務局を担う円卓会議が開かれ、いいおか津波まちづくりコンペ作品の活用について提案があった。震災から5年を迎え、様々な提案は現実過程としてハードの面では表立って活用されなかった、ソフト面では今後とも活用できる豊富な内容が詰まっている、適当な時期に作品の展示を企画したい、などである。 
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2016/2/3  21:06

投稿者: 渡邉
 旭市議会のやり取り
 議会での議員と市長・管理職との質問・答弁をみるとなぜか寂しい思いになるな!
 日常とか地域の共同性が被災で寸断され再生する道のりにとって自他の誇りみたいなものがエネルギーの原基と思っていた。
 学校とか横田会館のような建物には地域の記録・記憶いっぱい詰まっており、これを保存・世代を超えてどう伝承していくのか、張り合う議会でのやり取りであって欲しかった。

2016/2/2  22:18

投稿者: 渡邉
続いて「旭市議会議事録」より 飯岡歴史民族資料館について高橋議員の質問

○(?橋秀典)
 飯岡歴史民俗資料館の施設の概況及び資料の保管状況、また入館者の数についてお伺いします。

○生涯学習課長(高木昭治)
 飯岡歴史民俗資料館は飯岡ユートピアセンターに隣接し、昭和54年10月に開館し、資料の展示と収蔵してます。建物は平家建て、199.8平方メートルで、うち101.25平方メートルが展示室です。資料は、考古資料、古文書、民具、文化財書籍など約3,900点余りを保管しています。入館者数は、平成26年度の実績で104人となってます。

○(?橋秀典)
 飯岡歴史民俗資料館、私も見学させていただきました。展示物は、当時の暮らしぶりが忍ばれるとてもすばらしいものでした。しかしながら、見学者数が少ない。また、展示・保管環境が、大原幽学の記念館の状況と比べて非常にもったいないと感じます。
 公共施設白書、公共施設活用方針では、資料の大原幽学記念館への集約を進めながら、廃止となっていますが、その通りかお伺いします。

○生涯学習課長(高木昭治)
 廃止ですが、まだ具体的な案は決まっていない状況です。検討は、大原幽学遺跡保存管理計画策定委員会や文化財審議会などで意見をいただく予定です。

○(?橋秀典)
 飯岡の資料館は、海の暮らしにまつわるものが非常に多かったです。地元の子どもたちへの地域史の伝承といった面では、今の海岸部にあるほうがふさわしいと思います。
 横田会館、横田清藏先生について初めて知りました。
 新しい旭市史の編さんの予定はあるのでしょうか。震災そして復興も踏まえ、10年目の節目として市史の編さんに取りかかるというにはいいタイミングではないでしょうか。

○生涯学習課長(高木昭治)
 市史の編さんは、現在のところ予定はありません。

2016/2/2  22:15

投稿者: 渡邉
引き続いて「旭市議会議事録」
 
○(宮内 保)
新飯岡中学校が建設後、建物の解体予定と校舎側、グラウンド側の利用計画をお伺いします。跡地の利用は、多くの市民が非常に関心があります。旭市子ども議会でも、飯岡中学校の生徒も質問していました。
 横田会館の取り壊しについて、飯岡中学校と併せて解体と言われていますが、横田清藏先生の功績、横田会館の建設の経緯等についてお伺いします。

○市長(明智忠直)
 道路東側の校舎及び屋内運動場は、新校舎移転後、解体工事に着手する計画です。道路西側グラウンドや児童体育館は、暫定的に引き続き、運動施設として利用します。
 跡地4万平米は、市民からも意見を聞き跡地利用検討委員会等を作りながら進めます。

○商工観光課長(向後嘉弘)
 いいおか潮騒ホテル東側の市有地は6筆、3,344.83平米です。昨年の12月から本年6月までは津波防護施設工事の事務所の設置に利用しました。今後の利用は、商工観光課では特に計画はございません。

○庶務課長(角田和夫)
 現状の生徒数などから文部科学省の基準に沿い算出し、校舎面積は現在の5,349平米から4,879平米へ減ります。屋内運動場は、2,444平米に対し2,572平米となります。グラウンドは、既存は東西に分かれて約1万7,300平米に対し、(1箇所で)約2万平米となります。
 横田清藏先生は、明治19年に飯岡町に生まれ、千葉師範学校を卒業後、小学校の教職に進まれ、旭小学校校長ほか郡内校長を歴任されました。その後、政治の道に進まれ、千葉県県議会議長や旧飯岡町長に就任し、4期務められた後、衆議院議員を務められました。昭和29年4月の三川村との合併後は初代飯岡町長に再び就任し3期務められました。また、水あめ工業をはじめ、地域の産業振興にもご尽力された方です。
 横田先生の功績に報いたいと町民有志が伝えたところ、先生から「ならば中学校講堂あるいは町民のために公民館の建設を企画しては」と提言があり、昭和31年に町民有志により建設後、横田先生に贈り、先生から改めて町の施設として寄附されたものです。
 町はこれを横田会館と命名し、学校及び社会教育施設として広く公共の用に活用してきました。
 現在は飯岡中の卓球部が使用してます。耐震性の問題と老朽化も著しく、既存校舎と併せて解体する計画です。

2016/2/2  22:12

投稿者: 渡邉
ネットで調べたが横田会館に関する資料は千葉日報以外に無かった。旭市関係では昨年の9月旭市議会で観光物産協会の飯岡支部長でもある宮内保議員が質問していた。地元飯岡地区選出で年代から横田会館を良く利用していたと思われる。
 すこし長いがCLに掲載しているので転載するので見て頂きたいね。
 そこでは庶務課長は卓球部が使用しています、と回答しているが実際、どうだったのかな!
 そして、市史の編纂として考えていない、既存校舎と併せて解体する計画ですと結論している。こころがこもっていないというか、残念だがこれに代わるものを考えれいるので検討中ぐらいの地元に対する思いを考えて欲しかったな。
 また、高橋秀典議員が飯岡民族資料館について質問している。このままで行けば何れは廃止します、が市の考えという。私たちは津波に関する資料や海の暮らしに関する伝承のため、この資料館を改良し保存を願っているがどうなるのか!
  

「旭市議会議事録(昨年9月)から抜粋」
議事録は長いため、関連すると思われる箇所を抜粋しておきます。
宮内議員の質問に対する横田会館にまつわるエピソードは興味深いです。


コメントは1000文字以内なので次会に載せます。

2016/2/1  22:53

投稿者:1982
飯岡中学校在学中にも、横田会館の由来の説明はなかったような・・・?地域の関心がないのがやはり原因でしょうか?

2016/1/31  20:53

投稿者: 渡邉
   飯岡中・横田開館の転変
 飯岡中は昨年12月に建て替えに伴い移転した。そして本年度中の校舎解体に向けて作業が着手された。もう旧飯岡中となったがこの敷地内に60年前に建てられた「横田会館」が同時に取り壊される。
 この経緯について千葉日報が役目終える「横田会館」を取材・報道した。(1月26日県東版)
 紙によれば建設から60年経ち老朽化が顕著により廃止・解体。また、市側にこの会館に関する資料は確認できないという。通常ならその文化的価値を考え存続云々・資料の保存等など議論を経て最善の策を提示しても良かったのではないか!
 震災の最大の教訓は周知のようにいかに後世に伝えるか!にある。こうした取り組みとは相を異にして旧飯岡町時代に住民が一体になり取り組んだ地域振興の有り様は市飯岡支所玄関前にある横田氏の銅像のみで震災を機に消滅する。
 

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