震災後のまちづくり  飯岡津波 復興への歩み
    飯岡地区固有の課題とはー1
 下の写真は1昨年度、屏風ヶ浦写真展開催の折に寄贈された戦前の写真である。一枚目は現在の下永井にある波止の鳥居付近から屏風ヶ浦に向かって撮影したもので大正年代のものである。二枚目は逆に波止の鳥居に向けて撮影したもの、明治終わり頃と聞いている。
 何れも未発見のもので貴重な資料である。ここで判ることは侵食にあれこれ備える姿が彷彿できることだ。江戸後期から各地から集まった人々が集落を営み漁と侵食に明け暮れ、時には押し寄せた津波と相対し被害を偲び集落を維持して来た、今でいう絆が当時はどうであったのか、資料が無いので想像力に頼る以外にない。
 資料では七集落が侵食で移転したことが記されている。津波による高台移転ではなく侵食による集落の移動が海という自然へに対する飯岡の歴史であった、と理解できそうだ。これから先、集落の形成され方など震災後のまちづくりについて飯岡地区固有の課題を考えれる上で考えを整理して行きたい。
 
 
 
 
 
 クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します
35

2012/3/25  21:52

投稿者:海辺里 渡辺
  復興まちづくりの課題ー3

 いいおか津波の課題を整理してみる。

@ 後世に伝えること→復興かわら版の発行、語り継ぐ会の活動、聞き取り調査集の発行

A 被災地に人を呼び込むツーリズム→防災教室の継続

  これらが主な活動であった。今後の1年間は「トヨタ財団の地域社会プログラム」、県の「連携・協働による問題解決のモデル事業」などである。
 ここでは津波に強い街を軸に超高齢化地域に突入した被災地のまちづくりを目指すことになる。

http://tuberi.jp

2012/3/24  22:04

投稿者:海辺里 渡辺
   復興まちづくりへの課題ー2
 これまでを振り返ると被災を後世に伝えることに注いで来た。災害(地震・津波)に強いまちづくり、ありいは災害に<強い>建物などは主たる活動領域では無かった。
 前者は被災者であること、後者は専門外であること、なので当然の成り行きに従った次第である。
 これらについては何れ専門家が事態に即して対応するものと考えていた。しかしながら震災後1年を経てどうも納得の行くことが見えない。 


http://tuberi.jp

2012/3/21  20:04

投稿者:海辺里 渡辺
  写真から見た侵食の姿−1
 戦後については何枚か見つかったが戦前ではこの2枚しか無かった。写真を写すことは極めて限られた機会であったことが推察される。
 写真から刑部岬は大正時代から約40メートルぐらい後退していることが伺える。また、2枚目では鳥居が見える、現在は右方40メートルぐらいに移設されている。

http://tuberi.jp

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ