2010/9/23

ブッカー・リトルのワンホーンアルバムを聴いていてくすぐったくなるのはなぜだろう  木曜:Jazz & Classic Library


サーバーメンテの為に午前1時から午前8時頃まで御不便をおかけしました。
従って妙な時間に更新なう。



本日は偉大なるジャズエッセイスト、植草甚一さん風のタイトルで。
子供の頃、毎月こんな具合の長いタイトルで始まる氏のスイングジャーナルのエッセイを見るのが楽しみだった。
今の“うんちく”屋さんと大きく違うのは、常に時代の最先端の部分でジャズを語っていたこと。
その話題もジャズから始まって、ロック、アヴァンギャルド、クラシックにまで及ぶ幅広さ。
だから自分の偏狭な趣味を押し付けるのとは全然違う。
その見識の広さが「道先案内人」の仕事だと、今も思う。

さて、本日のこのタイトル。
それはこのアルバムを聴いてずーっと思っていることなのです。


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『BOOKER LITTLE』(time/1960年)

トランぺッターのブッカー・リトル(Booker Little)と聞いて真っ先に思い浮かべるのがリード奏者エリック・ドルフィーの『Eric Dolphy At The Five Spot Vol-1』(prestige/1961年)だったりするジャズファンは多いと思う。

かくいう僕もその一人で、このドルフィーのアルバムは初めて聞いた中学の時から今日までずーっと聞き続けている愛聴盤だ。いや、このアルバムに関しては哀聴盤といってもいい。それだけ惹きつけて僕の気持を離さないのって、いったい何が魅力なのだろう?

このドルフィーのアルバムは、聴いていると頭の中で超速効に細胞分裂が起こるような衝動が走る。既に臨界に達しているドルフィーを筆頭に、僕にはベースのリチャード・デイビス、そしてかなりの確率でその一端を担っているのがブッカー・リトルだ。逆にクールダウンさせられるのがピアノのマル・ウォルドロンとドラムのエド・ブラックウェル。この二人がニュートラルな位置にいてくれるからこそ、ドルフィー、リトル、デイビスの三者とのコントラストが見事にバランスしている。
それが恒久的なバンドではなく、たまたま空いたスケジュールを埋める為にドルフィーが招集したセッションだったという所に、このライブ盤の面白さ(Vol-1が最高の出来とすれば、Vol-2は分裂、他の名で発売されたテイクもギリギリ崩壊寸前でセーフ、といった感じ)だとも思う。

いけないのは、ついついレコードで育った世代は、このセッションバンドの偶然の記録を毎回繰り返し聴く内に、それらはまるで丹念なリハーサルから生まれたドルフィーのオーガナイズのように勘違いしてしまうことで、そう思っても良いくらいの出来が記録されているVol-1なのだ。
だから、偶然と自分を同化させて聴いてしまうところに、逆にジャズの魅力があると言ってもいい。

「偶然」と「つじつま」こそがジャズスピリッツ。
遊びのルールを覚えるまではもはや学問だけど、その先にはこの二つが存在していなくてはジャズにはならない。

さて、ブッカー・リトルのこのアルバムのお話し。

ドルフィーのアルバムで持ったブッカー・リトルの印象のまま、このワンホーン・アルバムを聴くと、かなり肩すかしを食らってしまう。
あまりに未熟な音楽だからだ。

それは一つにはリトルは楽器のピッチに関してかなり無頓着な面があるように思える。
ピッチが上ずっているのだ。
これはツーホーン編成だと上手く誤魔化せるのだけど、ワンホーンとなると致命的。
ピアノとのピッチの差は修正が利かない。

もう一つには作曲に於いて過渡期であること。
だからどの曲もテーマを聴いて一度で覚えられない。
どんなに凝った表情の音楽でも作曲として成り立っている音楽は一度聴くと覚えられるものがある。
メロディーだったりコードの流れだったり、リズムだったり、あるいはそれら全てであったり。
ところが過渡期的な音楽は異常にバランスが悪いのでそのバランスの悪さしか記憶に残らない。
それは作曲力の成熟によって自分の音楽がかくあるべきという姿を身に付けてくれば消えて行くものだ。

1960年という時代の音楽の耳でこのアルバムを聴いたとしても、やはりそこで「うっ」と思ってしまうのは、その作曲の未熟さだ。
もしも現代の基準に照らし合わせると、ジャズを学びにくるジャズ好きで勉強熱心な学生の一年目の発想、といったところだ。

おいおい、それじゃあ、このアルバムでいいとこ、全然ないじゃん、て?

いえいえ、あるんです。
あるから凄いなぁって思うんですよ。

例えば、かなり意味不明なイントロから始まる2曲目“Minor Sweet”。
これがテンポに入ると(ごく普通のハードバップっぽいAセクションとブリッジで構成されている)、ブリッジのところでリズムセクションがインテンポのままでブロークン・リズムに入る。
通常であればブリッジのところはリズムチェンジか何かで収めておくところだけれど、このリトルのアイデアは実にスリリングで面白い。
まるで波一つない池にポーンと石を放り投げたかのようにブロークン・リズムがブリッジ全体に波及して行く様はスリリング。
こんなブリッジの作り方は当時も今もお目にかかれない。

続くマイナー・ブルースの“Bee Tee's Minor Plea”は特に凝ったテーマでもないのだけど、この普通のソロパートでの演奏はその後のドルフィーとの共演で披露していたリトル語(つまりリトル独自のフレーズ)が聞こえてくる。

どの曲も、曲として聴くと、テーマの部分ではトランペットが奏でる色彩と与えられたコードの調和にかなり強引なところがあり、テーマのメロディーとコードが上手くブレンドしていないのだけど、それをギリギリセーフに仕立て上げているのが、実はベースのスコット・ラファロである事に気付く。

そう、このアルバムのもう一つの魅力は、このベースのスコット・ラファロの存在なしには語れない。
ピアニスト、ビル・エバンスのトリオでのラファロはもはや神のような扱いがされているのだけど、エバンス以外のところでのラファロは果たしてどうだったのか?

ピアニスト、スティーヴ・キューンとのアルバムもあるが、このリトルとのアルバムの方がラファロの魅力とディテールを鮮明に記録していると思う。
その点では、リトル本人も「ラファロじゃなきゃこのアルバムは成立しなかった」と語っているほどだ。

イントロが超モダンな5曲目“The Grand Valse”。
愛らしいワルツなのだけど、ここで見せるリトルのブレイク(息継ぎ)にドルフィーのファイブ・スポットでの演奏を垣間見てしまう。

1960年の4月という時点で、ブッカー・リトルは新しい事への意欲をスコット・ラファロなどとむき出しにしながらアルバムの録音を終えていたのだと思う。

やがてリトルはドルフィーと出会い翌年の7月に歴史的なセッション録音『ファイブ・スポットのエリック・ドルフィー』を残した。

しかし残念な事に、リトルはその三ヶ月後に病気でこの世を去ってしまう。

そして、リトルがファイブ・スポットでドルフィーと歴史的なセッションを繰り広げている頃に、盟友だったスコット・ラファロも交通事故でこの世を去ってしまう。

この二人が欠けた穴を埋めるに相応しい進化をジャズが遂げるには、少なからず時間を要したと歴史は語っているように思う。


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アコースティックなサウンド×緊密なグループ・インターアクション
過去と現在がシームレスに融合したジャズがここにある。[児山紀芳/ジャズ・ジャーナリスト]


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チェキラ!
タグ: Jazz ジャズ CD




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