Confessions on a Dance Floor
Madonna
が凄いスゴイとは散々いわれているので、このアルバム自体のレヴューは割愛。今リリース中のHung Upのビデオを昨日見て、彼女のアーチストとしての凄さと、生き様に相当考えさせられた。このアルバムは、2005年のダンスフロアーのトレンド、エレクトロクラッシュ/イタロディスコブーム/Mush Upクロスオーバーカルチャーを最も良質な形で、ポップカルチャーに取り込んだ作品となった。オープニングのHung UpはダンスフロアーにMadonna自身が帰って来た事を高らかに宣言する。しかもそのダンスフロアーは、レイヴ/ヒッピースタイル、テクノマナーなものではなく、80年代をルーツとする、日本ではマハラジャに代表される(って喩えは極端だけど)あのディスコの世界だ。ニューロマンティック、ファンク、ソウル、ニューウェイヴが勃発し、ロンドン、ニューヨークなどの都市が文化の発信地として人々の羨望を集めたあの時代。その時代への音楽史上の初めての回帰運動が、現在のエレクトロクラッシュ/イタロディスコブームでの本質であると思う。Madonnaがこの感覚にアクセスしてきたこと、この事に大きな意味がある。
80年代以降、パンクすらファッションとして完全に消費され、ロックはテクノ/ハウスの出現/セカンドサマー・オブ・ラブ/によって死を迎えた。あらゆるロックのスタイル/ジャンルは消費、もしくは脱構築/再利用されたかに見えたが、ニューウェイブ、ノイズ・インダストリアル等といわれるような<80年代音楽>だけは全く無視され続けた。何故かこの事についての言及はこのほぼ20年の間誰の手によっても行われなかったと思う。この事は深く議論され考え得る必要がある事だと思う。誤解を恐れずにいうならば、80年代の思い出は恥ずかしくて、思い出したくなかったからだ。忘れてしまいたかったからだと思う。
ロックマガジンについてクイックジャパンなどのわずかなメディア以外、振り返られなかったのはこの事が理由であるし、振り返られたとしても懐古的な、あのときは良かった的な言及され方が、既に音楽に対して熱意も興味も失ってしまった人間からされる程度のものだったと思う(松岡正剛の姿を見よ)。日本、そして世界が若く、エネルギーに満ちあふれていて、それだからこそ悩み、真剣に自己について言及しようとした時代。その結晶がニューウェイヴ、インダストリアル、そしてオルタナティヴといわれる音楽の本質だと思う。時代はその若き思い出を振り返る事を恐れ、思い出の中へ封印しようとした。そして20年が経過したのである。
Madonnaはsonic youthがかつて
ciccone youth

として80年代に強烈に批判した通り、ニューヨークのクラヴをに巣食う娼婦の一人であった。彼女がライク・ア・ヴァージンでデビューしたのは、80年代文化がもっとも熱気を帯びていたころの事だとおもう。彼女が80年代の文化に帰還する事の意味は、彼女の個人史とリンクした時代精神を読み解く事で深く理解できる。近年のmadonnaの作品はMobyとのコラボレート作等、テクノとの結びつきを強め、彼女自身の精神世界への傾倒とともに、東洋的色彩を帯びてゆく。彼女のヨガへの没頭ぶりは有名であるし、最近のインタビューではカバラ信者であるとカミングアウトしてもいる。ある種の精神的な高みや成熟を目指していたと思われる彼女の、ダンスフロアの帰還は何を意味するのか。それはある種の行者が出家し隠遁していた修行場から、衆生の元へ帰還する事に似ている。いや、それはあまりにも理想化されすぎているといえよう。彼女は封印/否認していた自身の過去との対峙>>受容のプロセスを果たしたのだ。
Hung UpのPVのなかで彼女は上のジャケット写真と同じ格好で、エアロビクスを踊る。過去のマッチョであったころの姿は既にそこにはなく、美しくシェイプされていいるとはいえ、47歳の等身大の肉体をあられも無く晒す。そこには等身大の現在の彼女の姿が不自然なまでに晒されているのだ。ビデオ自体は大きな破綻無く、ストーリー自体は平凡なものだ。しかし上に書いた彼女自身の歴史を踏まえてこのPVを見るとき、重層的な深みをこのPVは持つ。PVの後半、彼女はダンスフロアーに戻る。ダンスフロアーは、巨大な現実を象徴している。己の過去を事実として受け入れ、単なる懐古趣味にも陥らず2005年のスタイルに自らを進化させることに完璧に成功している事に、最大級の驚きと賛辞を贈りたい。そしてその事実は強烈なメッセージを時代向かって放つ。変化を恐れない事、自らのルーツを受け入れる事への勇気を与える。Madonnaのこの進化はポップカルチャーが遂に80年代文化を取り込むことに成功した事を意味する。そして、この曲は新しい時代の序曲となる。ダンスミュージックを幹として、いままで忘れ去られた<フリ>をされていたあらゆる80年代音楽がこれから復活し、消費されてゆくだろう。その歴史、地下水脈から疲弊した時代に新たなエネルギーを注ぎ込むだろう。それは今後10年をかけて行われ、テクノですらその中へ取り込む結果となるだろことを俺は予言する。
☆それを確信したのはDJ CMTのBACKCOUNTRY MIXXX vol2を聞いている時だった。
http://homepage.mac.com/backcountry/
3曲目、タンジェリン・ドリーム?からフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドにmixされた瞬間に。俺は俺の出来る最大限の事をやるように意思され無ければならず、それは自身のすべてのルーツを内包されるべき事であると。
ジムの自転車こぎながら天啓のようにな。

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