
ブログの更新のペースが随分とゆっくりになってしまった。
それは仕事の環境の変化が一番の原因で、今は仕事の終業が8時を回ることもしばしばで、患者の状態に依ればクリニックを後にするのが9時になることもある。フローティングタンクに入って帰ろうものなら出るのが10時、更に脱力してチルってたりするもんなら、下手すると12時を回ってしまうって算段だ。ブログを書く暇なんてない。
というのもいい訳じみているので別の理由を考えてみる。勤務医時代は思ったことができていなかったのでストレスが溜まっていたのだ。それで怒りに任せて満たされぬ思いをブログにぶつけていたのだ。そうすると今はどうだ?やりたいことができていて満足しているのだろうか。それもあるだろう。診療は大きくスタイルが変わるわけではなく、未だ自分なりの技法を模索してはいるが、患者数もコントロールできるし、それ以上に数々のクリニックの中で俺のクリニックを選んでくれることの嬉しさや縁に感謝している気持ちもあり、それなりに楽しくやれているようだ。満足しているからブログに書くことが少なくなっているのか。
どうもそれだけではないようだ。雇用される立場から事業主になったことが大きい感じもする。ただ無責任に上に対して文句を言っていれば良かった。いまは全てが自分に責任として跳ね返ってくる。そのことの心地よさとプレッシャー。自分のアクション一つ一つが患者の集客、ひいてはコストに反映されるという感覚。これはちょっとクリエイション/表現の感覚に似ている。自分の趣向と他人の関心が一致する地点ができるだけ理想に近づくように行動してゆく。これぞまさにアートという感じもする。治療という形で患者と俺のなかで形作られるアート。そのことが面白いのだ。
まあアートなとどいう高尚な言葉を使うまでもないのだが、それ以外にいい言葉が思い浮かばない。商売?そうかも知れない。そうすると商売人は皆アーチストだったのか。知らなかった。みな教えてくれないんだもんなー。それって秘密に属することなのか?
年齢を経るごとに興味や関心は変わってゆく。今俺はそんなまっただ中にいるかもしれないし、全くの気のせいかもしれない。ただ自由になった分、あらゆることは自分で決めてゆくしかない。そのことに戸惑っているのかもしれない。こんなこと前から分かりきっていたことだ。
最後にフローティングタンク。週に2〜3回は入っている。自分の無意識との対面、今の段階ではそういう言葉がしっくりくる。無意識、そんなものが本当にあるとすればだが、無意識は可能性宇宙のようなものだ。あらゆる可能性に満たされていて何も生じていない。今から生じることの期待に満たされながら何も生じていないプールのようなものだ。無。これを無と呼ぶのかどうか分からない。
そしてそれに意識的に働きかけることで何かを生じさせようとする。これはしかし現実そのものではないかという意識も生まれてくる。意識に構造があるのか。心理学では常に力動論、構造論、など様々な試みを行ってきた。そのように思えばいかようにも変化する無意識、そして意識。まどろみ。そして覚醒。

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