義母が死去した。
8月の初旬に脳死状態となり、1ヶ月半の後の死去であった。
戦中に生を受け、父を物心が付く前に亡くし、戦災未亡人となった母親は街で身を粉にして働き、幼い義母は親戚の家をたらい回しにされながら孤独な幼少期を過ごした。
中学校に入る頃にやっと余裕が持てた母親と同居することになるが、子供を育てたことのない母親は自らの子供と接する術を持たず、義母は大きな失望を感じることになった。
行き場をなくした愛着と温かい家族への憧憬を抱え、その後彼女は自分の家族を持った。
彼女が憧れてやまなかった温かい家庭。その実現のためにあらゆる努力を彼女は行った。
子供たちにはいつもきちんと糊付けされたシャツを着せ、入学式や卒業式など節目節目には新品の制服を揃えた。食事は常に手料理で、自宅は隅々まで目が行き届いていた。冗談が好きで、PTAの集まりには積極的に参加し、友達を多く作り、町内の旅行にも出かけた。家計の足しにとパートに出かけ、原付で軽快に通勤する姿は幸せそうな家族そのものであった。
俺にとってその姿はとても眩しく見えた。その距離の近さや親密さは憧れでもあった。
彼女は自分の欲するものを手に入れるために必死の努力を重ねていたのであった。
その義母が救急搬送され、脳死状態となった。
この1ヶ月半の間、家族たちはその喪失の傷みと、もはや語るすべを持たない母親の姿に身を切り裂かれる程の哀しみを背負うことになった。
今まで生き生きとしていた魂は脳死状態ではどこにあるのだろう。
身体だけは健康な、しかし意識は二度と取り戻すことのない骸。
彼女の意識は見舞う我々を見守りながら、戸惑っているのだろうか。
チベット密教では死後も魂は49日間の間、この世とあの世の間、輪廻と永劫への回帰の間を彷徨っているいるという。耳だけが死後も49日間は機能しており、この世の肉体とアストラル体である霊体の間を繋ぎ、ラマ僧達はその間読経をもって死に挑む霊体に向かって語りかけ、光への回帰を実現させようとする。ここに脳死=人の死、という現代医学に対するチベット医学の明らかなアンチテーゼがある。チベット密教では心停止=人の死をもって死は完遂する。瞑想による即身成仏とは三昧の状態からのあの世へのシームレスな移行を意味する。
正直に言おう。脳死状態の時にはタンクに入れなかった。いや実際には1回入ったが、泥酔していてために意識を失い、義母への再会は果たせなかった。
そして一昨日義母が死去した。
通夜、葬儀を終え、亡骸は灰となった。
義母を供養するためにタンクに入る。
供養とはおこがましい。義母との別れであり、せめてもの恩義への手向けだ。
そしてアイソレーション・タンクというものの霊的側面への実践でもある。
タンクに入る前に身を清める。
タンクの四方を追儺の儀礼によって守られたものにする。
全裸になりタンクに身を横たえる。
全身を弛緩する。
様々な去来する思念をあるがままにさせておく。
漆黒の闇の中で水の心地よさに全てを委ねる。
時間と空間の感覚が消え去り、静まった意識が訪れた時
淡い人型の物体が俺の斜め上方から、正対して重なりあって来るのを感じた。
灰色のような、雲のような。
それはゆっくりと俺の身体に重なり、霧散した。
その後俺の意識は定かではないが、様々な女性のイメージの奔流に曝されていた。
懐かしくもあり、セクシャルでもあり、数限りないどこかで出会った女性たちのイメージ。
死のその先への旅の安全を祈念できるでもなく、そのイメージの中でこの体験は終わってしまったが、
これは俺なりの彼女へのコンタクト、和解のようなものだったのかとも感じる。
義母の存在は俺にとっての太母を象徴し、同じものを妻に見出している。
もしくはそれは俺の中のアニマだと言えるかもしれないが、そこには何の違いも存在しないと思える。
さてこれからまた夢の世界に入りしばしの別れを行うとしよう。

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