Tomorrowland 2014 その1
昨年のTomorrowlandはエピックな年だった。EDMシーンをここまで世界的に盛り上げたSwedish House MafiaがMiamiでのラストライブを頂点に解散し、Hardwellが今までのハウスグルーヴを吹き飛ばすようなマッシヴなグルーヴでシーンの頂点に立った。
Swedish House Mafiaのクライマックスで必ず流されたLevelsの作者であった20歳の天才Aviciiがアメリカでの成功を確信犯的なマーケティングで手にしつつあった。正にEDMの世界的ブレイクの最中。
そのTomorrowlandの体験はどうだっか。もちろん最高だ。
世界中から、このシーンの目撃者となるべく集まった、現在で最もアッパーな連中の自由の王国。俺は90年代の初頭でのパンガンでのレイヴを皮切りに、世界中のパーティーに参加してきたが、ここまでアッパーで内省のない、突き抜けたパーティーに参加したことはなかった。参加した18万人が皆以前からの友人であったような、通り過ぎる初対面の者同士が拳をぶつけあってすれ違うような空間。誰にも強制されず、しかしDJのプレイは力強く強大で、大地を掴み、皆の想いを天空に一つに結びつけてゆくのだ。圧倒的なワンネスの感覚に包まれてゆく。これぞEDMの体験の本質であろう。
特に最終日。
まだ最初の二日間では、そのマッシブさに実は戸惑っていたであろうクラウドの空気が、今日で全てが終わる、という一点で一気に肩の力が抜けて、素晴らしく和やかな空間に変わっていた。闘いが終わり、ノーサイドのような。そこでトリを務めたSteve Aokiのパフォーマンスも本当に素晴らしかったのだ。最後まで悪ふざけで皆を楽しませ、そのサービス精神の深さに、感動するまでやり切って。
さて冒頭の、問いに戻ろう。
ここまで強烈な体験(それは比類するものがあるとすれば、音楽でいえば90年代のラヴ・パレード、スピリチュアルにいえば至高体験・梵我一如というものだが)をしていながら、消化しきれぬ想い、というのは何か、それは拡大を続けるこのシーンの産業としての一面のことである。
2013年のEDCにおけるビジネスカンファレンスにおいて、現在のシーンの規模は1000億円規模であり、5年後には1兆円以上の規模になると予想された。音楽と経済の関わりは、古くはジャズの時代から取りざたされた命題である。メジャーとマイナー、商業主義と作家性。メジャーになり産業と化した音楽はかならずその鮮度を失い堕落してゆく。この問題を乗り越えることができるのか。
現在のEDMシーンではまだかろうじて命脈を保っているように見える。ビッグルームといわれる、皆が好むアンセムはこの1年でHardwell色一色に塗り替えられてしまったが、それでも見るべき良質なリリースは続いているし、アメリカ発のTrapやTwerkといったHipHopやベースミュージックをルーツにしたサウンドはFlosstradomsやDiploの率いるMad Decent、Steve Aokiの率いるDim Makなどに牽引されて、EDMを新たな次元に押し上げつつある。
ヨーロッパで生まれたトランスを父とするEDMがアメリカとう大地で新たな変容を遂げ、どうヨーロッパに流入してシーンを変えてゆくのか、受容されてゆくのか。非常に興味深く今感じている。
これらを含めて2014年のTomorrowlandの熱狂をレポートしてゆきたい。

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