昨年も知人の財力と人間性のおかげで年末にDRCをご相伴に与ったのだが、今年もなんだかご相伴に与ってしまった。
それで、去年は酒運の遣いおさめ見たいなことを書いたら本当に遣いおさめたので今年はここから始まるんだぁ!!と書き始める。
昨日が宴会だったのだよ。で、飲みましたよいろいろと。ちょっと前には真面目にワインを学ぼうかなどと思っていたのだが、なかなか機会がなくって困っていたところ、年末にやってきましたね。豪勢なワイン会のお誘い。それなりのお値段なのだが、誘ってくれただけありがたいので、行ってみました。
以下がワイン&マールのリスト。
Boruno Paillard N.P.U 1990
Dom Perignon 1978
HAUTES-COTES DE NUITS DRC/CAVES AUGE 1999
ECHEZEAUX DRC 1996
GRANDA ECHEZEAUX Dem.Mon-Mugneret 1996
ROMANEE-St. VIVANT DRC 1996
RICHEBOURG DRC 1996
LA TACHE DRC 1996
ROMANEE-CONTI DRC 1996
Eau de Vie de Marc des Hospices de Beaune
美味かったねぇというのが感想。誰でも言えるけど。行く前に現行の値段見たから宴会費の安さに驚いたのだけれど、どれもいい状態で美味かった。1997に比べると、まだ閉じている感じ。10年後でもよかったろうけれど、酒の芯の太くて幅があって明瞭な力強さには驚いたね。ワインの善し悪しなんてあんまり語れるガラではないけれど、香り・味・色もさることながら、奥行きと幅、あと芯の太さ。味の真ん中に明確なボールがあって、それはなぞの世界を包んでいて、その中の奥のほうからいろんな要素が発散される感じとでも言ったらよいのだろうか。香りも「ああいい匂い」というのではなく、至極上等な香のような、極上のバラの花のような、今ここにある匂いだけがすべてではなくって、この匂いの歴史や共時的な広がりみたいなものが脳の真ん中で開花する感じとでも言ったら判ってもらえるだろうか。クハッー!!である。
昨年飲んだ1997は熟していて開く変化だったけれど、1996は閉じていく感じ。まだもう少し待っててくれればよかったのにと、唐突に至高の美女に一滴涙された感じなのだったよ。
美味いものはいい。マナーとか形式ばらなくても、酒がマナーを引きずり出してくれる。アルマーニ着てガーデニングしないようなもんです。ご婦人方にたとえれば、シャネルスーツ着てお風呂掃除はしないでしょ。
で、昨今のブームであるらしき、ホストクラブはじめ金使いまくる系の飲み屋でDom Perignonとか一気飲みしている姿を見るけれど、あんなに酒質のよい美味い酒を味わわないなんて、GUCCIのバッグに生で大福餅をはちきれんばかりに入れるかっこ悪さ。フェラーリで野良道をわざと走るつまらなさだなと酒好きな私は思う。酔うのだけが必要ならばエタノール希釈して飲んでればいいのだ。
高い酒がいいと言っているわけではない。私も普段は焼酎だし、日本酒だ。ここで煮込みである。断じてトリッパではない。トリッパ食ったら駄目なのだ。シシカバブにはシシカバブの酒。レツィーナやウゾーを飲めばいいのだ。ロシアのマトンの串焼きにはウォッカでしょ。焼き鳥には日本酒か焼酎ですよ。風土の問題ではなくって、酒がどの食い物を愛しうるかと言う話で、その話を聞けるやつが酒飲みの初歩だろうと思う。
私も最近やっと初歩になった。出来たらもう少し先を垣間見たいもんだ。
で、もう一度言うけれど、私の酒運はこれから益々開けるのだと断言をしておく。なぜなら愛だからだ。