サイレン
その1
雨上がりの部室は変な臭いがする。男だらけということもあるが、もう何十年も染み込んだ男の臭いが雨に押されて染み出してきているみたいだ。ただブロックを組み上げただけの窓の小さな部室のブロックは、梅雨と秋雨の時期には乾くことがない。狭い空間にバットやらグローブやら、アンダーやら練習着やらが散乱している。決して青春なんてきれいなもんではなくて、ただ臭いだけなのかもしれない。僕は青白い色の鉄のドアを音を立てて開けた。というより無音で開けることなど不可能なので、ギイギイと開けてギイギイバタンと閉めるのは普通のことだ。するといつものように藤野がいた。藤野は野球の清原に似た風貌の男だった。百八十五センチくらいの背丈とごつい体、ヒゲの濃い類人猿系のデカイ顔といい、野獣のようなギラギラ感といい、ほんとうによく似てる。でも奴は四番なわけでもないし、すごい選手ではない。体力はめちゃくちゃ強いのだが、ボールにはなかなかバットが当たらない。しかも第一ゴロが打てない。どうやっても上げちまう。永遠の八番なのだが、そのデカさとずうずうしさとエロさだけで周りを威圧する存在なのだ。その辺のずうずうしさは、先輩が夏で引退してからは、日々増加しているように思う。藤野は授業が終わるとすぐに部室に来る。それでまずする事は昨夜手に入れたエロ画像を誰彼なく見せまくるのだ。あいつの唯一最大の趣味はエロ画像のダウンロードだ。DoCoMoの903に一ギガのマイクロSDを入れ込んで、毎晩、毎晩エロサイトや掲示板へアクセスしては、ハードなエロ画像をダウンロードして僕たちに見せまくるのだ。そのために、小遣いを減らされてもパケほーだいにした強者なのだ。今日も僕が部室に行くと、すでに四組の尾比と中村のペアがエロ画像を見せまくられていた。当然僕も餌食だ。「これよう、どう見ても高校生だよな。ほら」と、制服をはだけて上と下を露出している丸顔のかわいい系の女の子がそこにはあった。動画も含めるとどのくらい持っているのかわからない。とにかく藤野はそれを見せたがるのだ。見せると、「どうだ? どうだ?」としつこく感想を求めてくるのだ。彼のお陰で、見ず知らずの何人の女性の体を知ったことだろうか。それを思うと、自分の人生を変えられたような気になる。もう一つの藤野の趣味は、趣味というかクセというか生きがいというか、他人の女性関係を根掘り葉掘り聞きたがることだ。僕にも何だか彼女がいる。テニス部の晴佳ちゃんだ。案外と運動の盛り上がらないうちの高校で、少しは勝てる部の二年のエースだ。背が高くて、目元がすっきりと明るく、何で僕と付き合っているのかが不思議なくらいのかわいい子だ。あと、尾比にもクラスの愛衣ちゃんという彼女がいる。部活が休みの次の日は、僕も尾比もその攻撃を受ける。「どこにデートに行った?」「やった?」としつこいのだ。肝心の藤野はまったく女気のない生活をしている。強気のようだが、女の前では急な下痢に襲われたみたいに逃げ腰だ。なので、生まれてこの方、女の人と交際したことなんかはない。あいつの人生の人間関係といえるものは、すべて男で統一されているのだ。かわいそうになる。でも、藤野がエロ画像を自慢したあと、「いいなあ! お前には晴佳ちゃんがいて! やり放題だもんな」とか言われると無性に腹が立つ。腹が立つというよりも悲しくなる。僕たちは付き合ってもう半年近くになるけれど、キス以上のことはしていない。なぜなら、僕も晴佳ちゃんも大学に行くつもりだし、万が一妊娠でもしたらしゃれにならないし、大切にしたいからだ。だからあいつの「女がいるイコールセックスする」みたいな図式は、侮辱だと感じる。尾比はどう思っているのだろう。そういわれるとこいつは友だちなんかじゃないって思ってしまう。
さっきうちの学校はスポーツが弱いと言ったが、普通の進学校だから当然といえば当然で、スポーツはプラスアルファって考える奴の方が多い。テニス部が少しは勝つぐらいで確かに後はぱっとしない。でも僕たちはまだましな方だ。最悪なのは野球部だ。出ると負けとまでは言わないものの、華々しいところまで行ったことはまったくない。だけれどプレハブのしっかりした部室がある。ダイヤモンドも野球部専用で、グラウンドの半分はあいつらのものだ。僕たちは三年に一回くらいはベスト八に入るけれど、部室はこの手狭なコンクリートブロックの箱だけだ。部費だって僕たちの三倍以上ある。模試とかぶっても数クラスは応援に行かされる。僕たちはサッカー部とラグビー部と共用でグラウンドを使うから、学校で練習できるのは週に二日だ。それ以外は休みか河川敷へ行く。市営の球技場へだ。確か、十数年前に男子ソフトボール部はインターハイへ行った。野球部は僕のオヤジが中学のときに、なぜだか知らないけれど甲子園に行った。でも悔しいことのソフト部のインターハイ行きは、野球部で揉め事があったために、選手がソフトに入ったから勝てたのだと聞いたことがある。だが、それももうずいぶんと昔の話だ。ここ五年の勝ち数を比較したら、断然僕たちの方が上なのだ。でも待遇は全然別。先輩が今年の予算獲得の会議に行った時に戦ったけれど、まったく勝ち目なんかなかった。世の中の勉強といえばそれまでだが、せめて学校にいる間ぐらい、公平とか平等とかを大切にして欲しい。小学生みたいだが、幼いくらいに切実な願いだ。