サイレン
その2
今日は、ラグビー部がグラウンドを使う日なので、僕らは河川敷のソフトボール場へ、サッカー部は筋トレと走り込みの練習だ。日頃は補習授業優先だ。試合前以外は日曜練習が禁止なので、移動も含めて、試験勉強の睡眠時間みたいに、短時間集中型にしなければならない。僕らはバットケースやボールなどを手分けして持ち、自転車に乗って河川敷へ行った。顧問の小渡先生が来るまでにアップをして、守備やバッティングの練習を始める。僕らがグラウンドへ行くと、ママさんの児島さんに会った。なんとなく来たのだそうだ。児島さんは県立商業のソフト部で三年連続インターハイに出場した選手で、時々、僕たちの練習を見ては意見をしてくれる。来る時と来ない時があるけれど、気まぐれなコーチみたいな存在だ。児島さんは尾比の家の隣に住んでいる。尾比の家は建設業をしていて、塗装の剥げた青ダンプが3台ほどあり、小型のユンボやコンクリートミキサーなんかが置かれている。従業員も何人かいて、たいがいは江北工業の出身者だ。江北工業は近所にある北山中学が、わざわざ近道になる道を通学路から外すような学校で、金髪の男がごろごろしている。僕が初めて尾比の家に行った時には、トルエンをくすねて吸った若い衆に、尾比の父さんが、馬乗りになってタコ殴りにしていた。みんな悪い人ではないが、たいがいが前歯がなかったり、中途半端な彫り物があったりする。話してみると、不良時代の思い出話は面白く、僕は彼らと話しをしに尾比の家によく行っていた。尾比は大人しいやつで、悪いことなんかまったくしない。その尾比が「坊ちゃん」と呼ばれている風景は何だかとても面白い。
練習を始める前に、藤野が僕に寄ってきて、「尾比が愛衣ちゃんとやったんだって」と喜々として僕の耳元でささやいた。遠くの中州のススキがほわほわと群れを成して揺れていた。練習が始まって小渡先生が来たころには、空はだんだんと赤みを増してややどぎつい夕焼けとなっていた。そうして守備練習を始めてしばらく経った時、川原のあちこちでサイレンが鳴り出した。児童帰宅時間のそれとはまったく違って、切迫感のある音だった。
「ウ・ウ・ウ・ウ」
と、鳴ると、「こちらは防災江ノ原。ただいま平成関東大地震の予兆が発見されました。住民の方は速やかに避難体制に入ってください。避難の際は落ち着いて冷静な行動をお願いします。くり返します……」という放送が入った。みんなきょとんとしていた。放送はエンドレスにくり返された。何度目かの放送を聞いて、ああ、これが小学校の頃から僕たちが訓練されてきた大地震なんだなと、僕は思った。ちょうど同じくらいにみんなも思ったらしく、先生が、「バットとかは俺の車で積んでいくから、お前らはすぐに家に帰れ」と言い出した。僕たちはあわてて先生の車に全部を放り込んだ。でも何だか僕は冷静で、ドキドキもバクバクもしてはいなかった。それでふと思ったのは、このまま自転車で帰る途中に本当の大地震が来たらどうなるのかということと、家に帰るよりも学校にいたほうが安全なのではないかということだった。その時、小渡先生だけが安全なところに帰るような気がして、ふと、突き放されたような気持ちになって動揺した。でも、動揺はそれだけだった。藤野はあせっているようだった。僕たちはそれでも速度を合わせて自転車をこいだ。土手の上を自転車で走りながら、僕はいろんなことを思った。まず思ったのは父さんと母さんのことだ。当然、今地震になったら、すぐには会えない。もし、地震で家が崩れたら、誰も下敷きにならなかったとしても、たくさんのものがなくなってしまう。僕にとってはアルバムやPCや本などだけれど、僕にとっての宝物と同じのが父さんにとっての家なのかも知れない。確かに一生一度の買い物なのだから、普通の場合。僕の家が崩れた場合。藤野の家がそうなった場合。クラスメイトの家がそうなった場合。そして誰かが死んだ場合。何かのケーススタディーがこの上もなく高速で、僕の頭から始まり、手先や体中まで回り始めた。いろんな人が頭の中にたくさんたくさん浮かんできた。横を走る仲間の顔も目の前にあったし、クラスメイトの顔も浮かんだ。中学の友人も、転校前の友達の顔も浮かんだ。尾比と愛衣ちゃんはどうするのだろう。どちらかが死んだら、彼らが興味と快楽を求めて寝たのでないとするとどうなるのか。新たな生が生まれる前に、離別を向かえる愛し合う命。愛衣ちゃんのかわいいらしい顔が、尾比の死という悲しみによって苦痛で顔をゆがめている場合。逆に怪我の苦痛に責められて、自らがこの世を去っていく場合。そこに生じる可能性のあるすべての感情めいた、この夕焼けのような、暗転する赤。僕には今確かにペダルをこぐ足があって、こうして伸びたススキの穂の中をかけくけてゆく。これが生なのだと、僕の胸はドキドキとした。息が不思議なくらい上がってきた。その中で断片的に、きわめて冷静な画像として、晴佳の顔が浮かんだ。眼の大きな、日に焼けた、はっきりとした顔立ちの、晴佳の顔が浮かんだ。冷静で、計算ができ、行動ができる晴佳の顔が浮かんだ。でもそれはものすごく静物めいていて、揺らぎのない顔であった。千年倒れない杉の木のように、凛として、複雑な枝振りの、晴佳の、僕はその枝葉の揺らめきしか知らないのかもしれない。それでも僕は晴佳のことが好きで、愛していて、でもふざけたキスしかしていない。晴佳は今、誰のことを考えて、何をしているのだろうか。きっとこれからの二人はすれ違ってゆく。彼女は運動生理学を学びたいと考えているし、僕は薬学を学びたいと思っている。志望校の所在地はまったく別で、毎日の実現のほかに、今は来るのかわからない未来の実現のために、僕は毎日の中で学んでいる。どうでもよければ、何とでも過ぎてしまう時間の中で息をしながら。瑣末である勉強を擦り、磨き上げている。きっとそうだ。さようならをいうことがわかっていて、同じ時間を共有しようとしている。この二人にも遠からず天災が起こって、何かしらの道順を組み替えていくのだろう。でも今が幸せなのだ。さまざまな人や場面が浮かぶ中で、冷静に僕は晴佳の姿を見ている。たとえ組み替えられた道順であっても、何も変わらない何かを僕らは一人ひとり持っていて、今はそれが仮に晴佳の姿をして僕の目に見えているだけかもしれない。
僕は走る。この黒に転じようとする重黒い赤を全身に浴びて、どこも安全なのではないという今の状況を走る。僕は走る。僕は走る。僕らは必死に自転車をこぐ。
とめどもなくサイレンの鳴り響く中を、猛烈な天災の予兆の中を、同じ速度でどこかへと走る。明日なんかどうでもいい。今のために、その今の先にある何かのために、僕らは今ここを走っている。
<了>